| すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
信楽(滋賀県甲賀市)
| 典型的な失敗事例となった。 もともと歌枕の地として信楽については、いろいろと調べてイメージをつかんでいた。 ところが実際の訪問の際に全部忘れてしまい、信楽といえば聖武天皇の「紫香楽宮」だ、と決めつけてしまった。 大津京も恭仁京もさんざん歌枕として詠まれていたので、同じように「荒れにし都」「いにしへ思ほゆ」の古都のイメージかなと想像していた。 だから紫香楽宮跡へ直行した。 【紫香楽宮跡】 ・・・ 滋賀県甲賀市信楽町黄瀬 ![]() 「紫香楽宮址」の石碑 ![]() 現地の案内板 紫香楽宮の跡地に甲賀寺が建てられたようだ。 ![]() どうも紫香楽宮は丘陵の上にあったようだ。 ![]() 当時の復元図 ![]() 小山の上に金堂の跡 ![]() 金堂の裏手。この奥に五重塔があったようだ。 ![]() 伽藍がどのように配置されていたのか、この地形からは全く想像できない。 ![]() 礎石が並んでいることで、そこに建物が立っていたことが分かる。 ![]() いや〜素晴らしい! こんな感じで見学を終えたのだが、家に帰って改めて信楽の歌を見てみると、紫香楽宮に関連するような歌はほとんどなかった。 |
| しがらきの峰立ち隠す春霞晴れずも物を思ふころかな | 古今和歌六帖 | |
| しがらきの峰立ち越ゆる春霞晴れずも物を思ふころかな | 古今和歌六帖 | |
| しがらきの峰立ち均す春霞晴れずも物を思ふころかな | 歌枕名寄 | |
| 昨日かも霰降りしはしがらきの外山の霞春めきにけり | 藤原惟成(詞花和歌集) | |
| 春立ちてほどは経ぬらししがらきの山は霞に埋もれにけり | 源重之(重之集) | |
| 春立ちてほどや経ぬらししがらきの山は霞に埋もれにけり | 源重之(万代和歌集) | |
| 春立ちてほどや経ぬらむしがらきの山は霞に埋もれにけり | 源重之(続後撰集) | |
| 降る雪の日数積もればしがらきの真木の青葉も見えずなりゆく | 内裏歌合 | |
| 都だに雪降りぬればしがらきの真木の杣山跡絶えぬらむ | 隆源(堀河百首) | |
| 深山だに雪降りぬればしがらきの杣山人も跡絶えぬらむ | 隆源(金葉集) | |
| 都だに霰降る夜はしがらきの真木の外山の奥ぞ知らるる | 隆源(千五百番歌合) | |
| 下柴の枯れ行くほどに降りぬればつま木こりつむしがらきの里 | 藤原経家(正治初度百首) | |
| 新玉の春とも見えぬ梢かななほ風冴ゆるしがらきの山 | 藤原成実(宝治百首) | |
| むら雲の外山の峰に掛かるかと見れば時雨るるしがらきの里 | 平経正(新勅撰集) | |
| 春浅き篠の籬に風冴えてまだ雪消えぬしがらきの里 | 西行(山家集) | |
| しがらきの杣のおほ爺はとどめてよ初雪降りぬ聟の山人 | 西行(山家集) | |
| 春霞篠の籬に風冴えてまだ雪消えぬしがらきの里 | 西行(歌枕名寄) | |
| 春浅み篠の籬に風冴えてまだ雪消えぬしがらきの里 | 西行(夫木和歌抄) | |
| しがらきの外山は雪も消えにしを冬を残すや谷の夕風 | 六百番歌合 | |
| しがらきの奥いかならむ外山だに道迷ふまで降れる白雪 | 民部卿家歌合 | |
| しがらきの外山は薄き白雪の埋みも果てぬ松のむら立ち | 道助法親王家五十首 | |
| しがらきの外山の紅葉おのれとや夕日を染むる色勝るらむ | 道助法親王家五十首 | |
| しがらきの外山の梢薄く濃く匂ふもみじ葉雨や染むらむ | 日吉社十禅師歌合 | |
| 雪降れば深山や寒きしがらきの外山に出づる鶯の声 | 歌合 | |
| しがらきの外山の奥に梢なす埋もれ弱る真木の雪折れ | 藤原家隆(洞院摂政家百首) | |
| しがらきの真木の杣家は氷して影も流れぬ冬の夜の月 | 藤原家隆(壬二集) | |
| 神無月今は時雨もしがらきの外山の嵐雲誘ふなり | 藤原家隆(壬二集) | |
| しがらきの外山の梢空冴えて霞に降れる春の白雪 | 藤原家隆(壬二集) | |
| しがらきの外山の霰降りすさび荒れ行くころの雲の色かな | 藤原定家(拾遺愚草) | |
| 時雨ゆく色こそ知らねしがらきの外山の奥も秋の夜の月 | 飛鳥井雅経(内裏歌合) | |
| 春といへば外山の霞立ちにけり薄墨渡るしがらきの里 | 賀茂季保(正治後度百首) | |
| 浅霞みたなびきぬるかしがらきの外山の嵐吹き弛むなり | 藤原信実(宝治百首) | |
| 東雲のしがらき山のほととぎす檜原がうれの雲に鳴くなり | 藤原信実(万代和歌集) | |
| しがらきの外山ばかりに見し雪の里まで積もる時は来にけり | 藤原信実(弘長百首) | |
| 東雲のしがらき山のほととぎすひらの木暗れの雲に鳴くなり | 藤原信実(歌枕名寄) | |
| 東雲のしがらき山のほととぎす檜原隠れの雲に鳴くなり | 藤原信実(夫木和歌抄) | |
| しがらきの外山の空は霞めども峰の雪気はなほや冴ゆらむ | 後鳥羽天皇 | |
| 我が恋は色も変らずしがらきの真木の杣山時雨降れども | 後鳥羽天皇 | |
| しがらきの外山の深雪積もるらしむら雲迷ひ時雨するころ | 後鳥羽天皇(夫木和歌抄) | |
| しがらきの外山の紅葉散り果てて寂しき峰に降る時雨かな | 藤原秀能(遠島歌合) | |
| 冬寒み真木の葉白く霜冴えて朝寂しかるしがらきの里 | 万代和歌集 | |
| しがらきの外山の末のほととぎす誰が里近き初音鳴くらむ | 藤原隆祐(遠島歌合) | |
| 日暮るれば行く人見えぬしがらきの外山に出づるさ牡鹿の声 | 藤原隆祐(影供歌合) | |
| 雁がねは友惑わせりしがらきや真木の杣山霧立たるらし | 源実朝(金槐集) | |
| 深山には白雪降れりしがらきの真木の杣人道辿るらし | 源実朝(金槐集) | |
| しがらきの外山ばかりに降り初めて里には今朝の雪も積もらず | 衣笠家良(続後拾遺集) | |
| しがらきの杣山桜春ごとに幾世宮木に漏れて咲くらむ | 藤原頼氏(新勅撰集) | |
| しがらきの外山の松は時雨るともつれなき色はえやは見るべき | 藤原為家(為家千首) | |
| しがらきの外山の深雪消えかねて春より後も冬ぞ久しき | 藤原為家(為家千首) | |
| 白雲もまだ消えなくにしがらきの外山の霞早立ちにけり | 藤原為家(洞院摂政家百首) | |
| 雨過ぐる外山の道の木暗れよりしがらき笠ぞ見え隠れする | 藤原為家(新撰和歌六帖) | |
| しがらきの山風暗し降る雨に時々混じる雪の寒気さ | 葉室光俊(新撰和歌六帖) | |
| しがらきの山かき時雨れ降る雨に時々混じる雪の寒気さ | 葉室光俊(夫木和歌抄) | |
| 桜花今咲きぬらししがらきの外山の松に雲の掛かれる | 葉室光俊(夫木和歌抄) | |
| 尋ね見む今日も時雨はしがらきの外山の紅葉色や勝ると | 続後撰集 | |
| しがらきの外山ばかりに降り初めて庭には遅き雪にもあるかな | 玉葉集 | |
| 風寒みまだ雪消えぬしがらきの外山霞みて春は来にけり | 宗尊親王(続古今集) | |
| 今よりや外山の色も変るらむ秋風寒ししがらきの里 | 宗尊親王(続古今集) | |
| 昨日今日外山の雪気風荒れて寒く時雨るるしがらきの里 | 歌合 | |
| 長月の霜夜の月は傾きて鹿ぞ鳴くなるしがらきの山 | 歌枕名寄 | |
| しがらきの真木の梢も霞むなり明くる外山の横雲の空 | 鷹司冬平(文保百首) | |
| しがらきの外山に掛かる浮雲の行く方見えて降る時雨かな | 続千載集 | |
| 炭窯もそこと知られてしがらきの里よりほかに立つ煙かな | 二階堂貞宗(草庵集) | |
| 里人は衣打つなりしがらきの外山の秋や夜寒なるらむ | 二階堂貞宗(草庵集) | |
| 鳴神の音も遥かにしがらきの外山を廻る夕立の雲 | 続後拾遺集 | |
| しがらきの真木の梢も霞むなり明くる外山の横雲の空 | 続後拾遺集 | |
| 風寒み山は雪気の雲ながら今日も時雨るるしがらきの里 | 続後拾遺集 | |
| 掻き暗し時雨と見えてしがらきや外山の峰に雲ぞ掛かれる | 院六首歌合 | |
| しがらきの真木の外山のほととぎす明くるを時と空に鳴くなり | 日野賢俊(延文百首) | |
| しがらきの外山の雲の打ち時雨れ今日や里人冬を知るらむ | 洞院公泰(等持院百首) | |
| しがらきの外山を掛けて雲払ふ嵐のあともまだ時雨れつつ | 新千載集 | |
| しがらきの外山に降れる初雪に都の空ぞなほ時雨れける | 新拾遺集 | |
| しがらきや山遮りに隔たりて水かみ遠きうちの川音 | 宗良親王(宗良親王千首) | |
| ほどもなく里をば過ぎてしがらきの外山を廻るむら時雨かな | 足利義詮(宝篋院百首) | |
| しがらきの外山の桜咲きにけり真木の梢に掛かる白雲 | 九条経教(延文百首) | |
| 昨日まで残りしままにしがらきの外山の花を雪かとぞ見る | 新続古今集 | |
| しがらきの外山の雪は深けれどなほ焚き止まぬ真木の炭釜 | 隠岐高田明神百首 | |
| しがらきの外山も雪に埋もれて余所目はいざや奥の炭窯 | 隠岐高田明神百首 | |
| 秋風に衣打つなりしがらきの外山の柾色変るらむ | 正徹(草根集) | |
| しがらきや外山の柾来る春の霞とともに綱手引くなり | 正徹(草根集) | |
| しがらきや遠山の柾打つ紐をたなびき初むる春霞かな | 正徹(草根集) | |
| しがらきや外山の里の夕づく日半ば時雨の峰の椎柴 | 肖柏(春夢草) | |
これは「滋賀県工業技術総合センター」のホームページに掲載されていた信楽を詠んだ歌のまとめ。よくこれだけ収集できたものだ。![]() リンクあり。この中の「信楽情報関連」の頁。 「歌ことば歌枕辞典」によると、歌に詠まれるのは平安時代に入ってからで、当初は春の「霞」がかかる「峰」がよく詠まれたが、平安後期には「雪」や「杣山」の言葉から冬の寂しさを詠む歌が多くなったとある。 紫香楽宮はほとんど関係なかったようだ。 |