すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
重衡松(神戸市須磨区)
摂津名所図会
早稲田大学図書館
平重衡は、清盛の五男であり、源平の一の谷の戦いでは平家側の副将であった。 源義経の急襲などで平家側の敗色が濃い中、須磨の辺りまで逃げてきたが、乳母子の後藤盛長に裏切られ、最後は梶原景季らに生捕りにされてしまった。 生捕りされた場所に生えていた松はのちに「重衡松」と呼ばれるようになった。 多分、絵図の右手の兜を脱いで捕らえられた若武者が、平重衡なのだろう。そしてその上に描かれている松が「重衡松」ということだろう。 (左手の馬に乗って逃げていくのが乳母子の後藤盛長だろう) 山陽電鉄の須磨寺駅前に重衡松の跡が残されている。 ![]() 須磨寺駅前の踏切。 この道をまっすぐ行くと須磨寺がある。 ![]() 駅を出たところ。 ここが重衡生捕りの現場。 ![]() こんなかんじ 「平重衡とらわれ松跡」の碑 案内板の説明によると、土地の人々は源氏の捕虜となった重衡を哀れに思い、名物の濁り酒をすすめたところ、重衡はたいそう喜んで、かくなん詠じ給ふと云々。 |
ささほろや波ここもとを打ちすぎて 須磨でのむこそにごり酒なれ | 平重衡 |