すさまじきもの ~歌枕★探訪~ |
時雨殿(京都市右京区)
歌人、藤原定家が嵯峨野で庵を結び、万葉時代以来の名歌を選び抜き、小倉百人一首を完成させたのが、小倉山の麓にあった「小倉山荘」であり、別名、「時雨亭」と呼ばれていた。 時雨亭の跡地については諸説ある。 ①常寂光寺と②二尊院、③厭離庵で、それぞれ時雨亭跡と伝承されているが、よくわからない。 個人的には、祇王ファミリーや滝口入道のような世捨て人なら小倉山麓の斜面のような立地場所でも問題ないが、貴族の一般的な別荘であるならば麓といえども平地が広がっている方が便利であり、その意味から③厭離庵かなと、勝手に思っている。 まあ、実際のところ、どこでもいいのだが。 そんな中、2012年に小倉百人一首の世界を伝えるミュージアムとして嵯峨野の地に「時雨殿」が誕生。もちろん藤原定家の時雨亭にちなんで名前が付けられたもの。 ![]() 場所は大堰川のほとり。 ![]() 自動販売機も意匠を凝らしている。 ![]() ちょうど「宝塚歌劇と百人一首」の展示がなされていた。 え~と、毎回、入場するかどうか悩むのだが、今回もパス。 百人一首は知りすぎているし、特設の平安装束にもそれほど興味が沸かないし、100人の歌人人形もいまいちパッとしないし、また今度来ようと。 そんな「時雨殿」の元になった「時雨亭」にちなんだ歌 |
いつはりのなき世なりせば神無月誰がまことより時雨れそめけん | 藤原定家 |
都名所図会には、時雨亭の古跡はいろいろな説があるとされ、それは上記の和歌を種として後世の人がいろいろな伝説を作っていったとある。 そのなかで都名所図会としては、「厭離庵」こそ時雨亭の跡だとしており、挿図も「厭離庵」=「定家卿古跡」で描かれている。 |