すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


四十曲(しじゅうまがり)(岡山県新庄村)





後鳥羽上皇と後醍醐天皇ゆかりの史跡として、訪問を楽しみにしていた。

ところがハプニングが発生し、後鳥羽上皇の歌碑まであと20メートルというところで、行く手を阻まれることになった。

何が起こったのか、は後述する。






2020年の盆休みを利用して中国地方の旅に出た。

鳥取、島根県を巡ったのちに、国道181号線を走って岡山県へ向かったのだが、岡山県の最初の訪問地は四十曲峠と後鳥羽上皇公園。

四十曲峠は岡山県と鳥取県の県境の峠。かつては出雲街道の難所として知られていた。

四十曲(しじゅうまが)り」というだけあって、往時は曲がりくねった道で峠を越えていたのだろうが、現在はトンネルで一直線に超えている。


岡山側から撮影



右手に旧道が見える。旧道はどのように峠を越えているのだろうか



その後、後鳥羽公園へ向かった。この道は出雲街道



昔の杉並木が残っていた



道沿いに案内板があって、



20メートルほど先に歌碑があるのが見えた。

ところが、ここでハプニングが発生!
車を下りようとしたところ、アブの群れ現れ、次から次へと車に当たってきた。パン、パン、パンと車体に体当たりしているような音。
窓についたアブを見ると、かなりの大きさであった。
ちょっと危険を感じるような状況であった。



結局、アブが怖くて車を下りれず、歌碑まで行けなかった。
(まっすぐ行ったところに歌碑が見える)



え〜と、のちにネットで調べたら、アブは黒いものに攻撃的になるらしい。夏に山歩きをするときは黒い服は厳禁とのこと。
私の車はブラックパール(紫の入った黒)なので、標的になったようだ。









【後鳥羽上皇と後醍醐天皇のエピソード】

承久の乱によって後鳥羽上皇は隠岐の島に配流となった。

出雲街道を下ってきてこの地で休息した時に、かつて都へ通じた古道を眺めて、次の歌を詠んだ。

みやこ人 たれふみそめてかよひけん むかひの道のなつかしきかな 後鳥羽上皇
後鳥羽公園に歌碑

隠岐の島に島流しされた後鳥羽上皇は、配所生活約20年の後に、都へ御還することなく流刑地にて崩御された。



約100年後、今度は元弘の変で敗れた後醍醐天皇が隠岐の島に流されるため、出雲街道を下ってきた。この地で休息をとられた後醍醐天皇は、後鳥羽上皇を偲んで次の歌を詠んだ。

伝え聞く昔語りぞうかりけり そのえふりぬるみか月の森 後醍醐天皇

後醍醐天皇のほうは隠岐の島から脱出できた。

後鳥羽公園にはそれぞれ二人に関わる「硯石」や「枝垂れ栗」などがあるらしい。















春はヘビが怖いし、やはり晩秋に行ったらよかったです。






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