すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


敷名千年藤(しきなのちとせふじ)(広島県福山市)






千とせ経む君がよわひに波の の枝にもかかりぬるかな 藤原隆季(平家物語)


内海大橋北詰の駐車場に歌碑





平家物語、巻四、「還御」で、高倉上皇が厳島御幸からの帰路に備後国の敷名の泊に碇泊したときのエピソード。

岸辺には“色深き藤の花が松の枝に咲きかかりける”を、高倉上皇がご叡覧(えいらん)あって、「あの花を折ってこさせよ」と取ってこさせた。

そして藤の花を松の枝ごと折ってこさせて、“この花にて歌仕れ、おのおの”と仰せられたので隆季の大納言が詠んだのが上の歌。

この歌から、敷名の藤は「千年藤」と呼ばれるようになり、当地の名物になったようだ。

平家物語では岸辺に咲いていた藤の花であるが、現在では国道53号線沿いに植えられている。かなり高所で、松の枝にも掛かっていないが、歴史上の逸話を再現していただいた地元関係者に感謝。







【現地訪問】


え〜と、訪問したのは4月9日のこと



桜の花が散った時期なので、藤の花には少し早い



よく見ると、花は咲き始めているようだが、花びらはまだ鈴なりになっていない
4月下旬からゴールデンウィークあたりが見頃だろう



国道53号線の駐車場から西方向を望む
右手に常石の造船所が見える








平家物語の挿話により敷名の地は藤の花に因んだ歌枕となった。


荒山何處舊行宮、嶋寺沙村煙霞中、一去龍舟春幾度、紫藤花落暮灣風 菅茶山



千年経む君が齢の言の葉を 添へて捧げし花や此の 西川国臣
西川国臣は明治維新後の地元の村長



さける敷名が濱に風吹けば 御船に寄するの波 正岡子規






明治時代に誕生したこの地の村の名は「千年村」だったらしい。
その後昭和期に隈沼町になって、現在は福山市。












平家物語ゆかりの地が大好きです






〈 追記 〉
公益財団法人ひろしま文化振興財団が運営するホームページ、「ひろしま文化大百科」によると、「敷名の千年藤」は上記とは別のところに本物の藤の木があるらしい。
記述内容を転記する。

・福山市沼隈町常石の敷名浜から厳島神社へ上る参道入口にある藤のこと。
・江戸時代の寛保3年(1743)には藩主が領内巡視のさい、ここに「千年藤」の立札を立てさせたという記録があり、そのときの藤は東西4間(約9メートル)、南北10間(約18メートル)もあったというが、以後も何代か入れ替っていて、現在のものはそれ程大きくはない。


どうも国道53号線の下の厳島大明神の参道にあるようだ。







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