すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


新町(大阪市西区)




「京の女郎に江戸の意気地をもたせ、大阪の揚屋で会えば、この上何かあるべし」

『好色一代男』の主人公、世之介が言った「大阪の揚屋」とは当時の新町遊郭のこと。
江戸の吉原、京の島原と並び、江戸期の三大遊郭であった。





舟を四ツ橋につけて、「あがれ」といふ。「又悪所へか」「颯と見て帰らう。これ
吉野夜の花見ぢや」と東口より入りて、九軒の吉田屋に行けば・・・

(好色一代男 巻五 「難波舟遊もどりに夜見世の事」) 







新橋の入口、東大門があったところ。
世之介もここから新橋へ繰り出したのだろう。





「新町橋」顕彰碑。
「ひょうたん橋」とも呼ばれていた。新町遊郭への入口で、西横堀川に架かっていた。
往時は道頓堀から夜店が続き、大変賑わっていたらしい。





世之介たちが舟から上がった西横堀川は埋め立てられ、今は阪神高速が上を通る。





新町北公園にある「新町九軒桜堤の跡碑」
桜の名所だったらしい。

だまされて 来て誠なり はつ桜 加賀千代女


桜の名所を復活させようと、新町北公園には桜並木が植えられている。





むかし花街 いま市街地 (西区新町一丁目付近)
マンションも多く、混然としている。





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新町といえば、「夕霧太夫」
伝説の遊女で、京の島原から新町へ移ってきた時は、聞こゆる夕霧を一目見ばや、と西横堀の川筋は人で埋まったとのこと。井原西鶴も見学者の一人であったらしい。
「好色一代男」では「神代このかた、また類なき御傾城の鏡」と表現している。
二十二歳の若さで世を去り、大阪中の人々が嘆き悲しんだと伝えられる。
近松門左衛門の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」や歌舞伎の「夕霧名残の正月」とかで有名。 



桐の葉もそめわけがたし袖の紋 夕霧太夫










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