すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
篠原(滋賀県野洲市)
「篠原」て、平家物語で平宗盛親子が処刑された場所、とのこと。 だが、あの凡庸な平宗盛がどこで殺されようが、あんまり興味のないことだったので、よく覚えていない。 ところが現在では「平家終焉の地」「平宗盛胴塚」の史跡として整備(?)されており、観光案内にも載っている。 誰か行くのかな? 「平宗盛ゆかりの地」って、わざわざ行く気も起らなかったが、同じ「篠原」が十六夜日記で詠まれていることを知り、とりあえず行くことにした。 ![]() 国道8号線の脇に胴塚がある。 この辺の国道8号線は旧中山道であり、中世では東海道でもあった。 ![]() 看板は出ているが分かりづらく、前を何度も往復してやっとたどり着いた。 プラスチック系のリサイクルセンターの隣から入っていく。 ![]() 右がリサイクルセンター この小道の奥 ![]() まだまだずっと奥 ![]() まだまだ ![]() 奥まったところに胴塚があった。 平家物語に 躯(むくろ)をば、父子一つ穴にぞ埋みける。 とあって、親子仲良く一つの墓で眠っているらしい。 ただし、胴はここに残されたものの、首は都に持っていかれて、さらしものにされた。 大臣殿父子の首、都へ入る。検非違使ども出て向つて、これを受け取り、三条を西へ、東の洞院を北へ渡して、獄門の左の樗の木にぞかけられける。 壇ノ浦の戦いで、平家一門たちが立派に死んでいく中で、宗盛と清宗の親子は死にきれずに泳ぎまわっていたところを、源氏方に引き上げられ捕虜となった。都に帰ったとき、二人は簾を上げた車に乗せられて大路を渡された。また近江の篠原で処刑されたあと二人は首となって大路を渡され、どちらも見物人が群れをなしたという。 西国より上りては、生きて六条を東へ渡され、東国より帰りては、死して三条を西へ渡さる。生きての恥、死しての恥、いづれも劣らざりけり。 と、平家物語も宗盛親子に対しては非常に厳しい。 さて、胴塚の前には「首洗い池」「蛙鳴かず池」があったらしいが、近年、リサイクルセンタとして埋め立てられたとのこと。 ![]() 篠原は、街道沿いにあって、萩の絶景ポイントだったらしく「野路の篠原」として和歌に詠われている。 |
近江路や野路の篠原夕ゆけば 志賀よりかえる笹波の風 | 捨玉集 |
行く人もとまらぬ里となりしより荒れのみまさるのぢの篠原 | 東関紀行 |
十六夜日記では阿仏尼が次のように詠っている。 |
うちしぐれふる里思ふ袖ぬれて行くさき遠き野路の篠原 | 阿仏尼(十六夜日記) |
挿図には、平宗盛親子の墓が描かれ、その前に大きな池が見える(今はリサイクルセンター)。 手前の道は中山道。 |