すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


白鬼女橋(福井県鯖江市)




「白鬼女」(しらきじょ)って、なんとも由緒あり気なネーミングである。

調べてみると、地元にはいろいろな伝説があるのだが、それぞれの伝説に「白鬼女」という名称の由来が盛り込まれている。伝説には「白衣」や「鬼女」や「白蛇」等のキーワードが登場し、それなりの由緒があって説得力がある。(個別の内容は省略)

ただし一般的には、鯖江市を流れる日野川の昔の名称であり、大伴家持の万葉歌にも詠われた「叔羅川(しくらがわ)」の別の読み方「しらきがわ」が変化したものとされている。「白鬼」の字が当てられ、そこに伝説の「女」がくっついたのだろう。

中世には日野川に渡し場が設けられて「白鬼女の渡し」と称せられ舟橋が架けられたり、、また船便が日野川を下った三国湊まで往復したり、ここは交通の要衝となっていたらしい。

後日談があり、昭和37年に河川の工事中に川底から石仏が発見され、地元では「白鬼女観世音菩薩」として白鬼女橋のたもとにお堂を建てて祀っている。



さて、「白鬼女」を詠んだ歌を紹介



しらきどの橋椅といへる所にて、里人に尋ね
侍れども、答ふるものも侍らずして、


里の名もいさしらきどの橋柱、立ちより問へば波ぞこたふる 道興准后(廻国雑記)



う〜ん、なんとも残念な気持ちになるのだが、せっかく様々な伝説に彩られた白鬼女で詠んだのに、「しらない」と掛けただけのダジャレで終わっている。
道興准后は室町時代の僧侶で、聖護院門跡。東国を旅行した際の紀行文である「廻国雑記」には地名をもじったダジャレ歌が、これでもかって言うくらいに収録されている。







【現在の様子】

昔の「白鬼女の渡し」の場所には「白鬼女橋」が架けられている。


日野川に架かる白鬼女橋。ごく一般的な橋である。



現在の橋柱



橋のたもとに「白鬼女観世音菩薩」を祀ったお堂が建てられている。



発見された石仏は、昔の洪水で流されたものらしい。



白鬼女橋から上流を望む















地元では有名な橋のようです






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