すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


白須松原(しらすまつばら)(山梨県北杜市)





白い砂浜と松林の組合わせを白砂青松(はくさせいしょう)と表現するが、当地の「白須松原」も同じような意味合いだろう。


花崗岩の山肌が削られてできた白い扇状地の地形と、4キロも続く見事な松林が織りなす風光明媚な景観は、白須松原と呼ばれ、甲州街道を行く旅人の心を和ませた。


そんな風趣に富んだ佳景の地に、南北朝時代、南朝方の皇子がやってきた。


後醍醐天皇の皇子の宗良親王。
拠点にしていた井伊谷城が落城し、再起を図るため甲州を経由して信濃国に向かう途中、白須松原で休憩をしたようだ。


そして次の歌を詠んだ。


かりそめの行かひぢとはききしかど いざやしらすのまつ人もなし 宗良親王


宗良親王は勢力拡大を目指したが、あまり同調者は集まらなかったらしく、慨嘆の歌となっている。待っていてくれる人もいなかったと結んでいる。

行き交い路甲斐路知らず白須待つが掛詞。


尚、この歌の本歌が古今集にある。


かりそめのゆきかひぢとぞ思ひこし 今は限りの門出なりけり 在原滋春(古今和歌集)


古今集の本歌の方も甲斐路を掛けている。今にも死にそうだという内容の歌。









現地を訪問した。


白須松原の跡地は、白州町の白須上。
旧甲州街道に沿って松原が続いていたらしい。




「白須上チビッコ広場」に史跡が整備されているとの情報があったが、行ってみると入り口がロープで塞がれていた。




公園の奥に立派な石碑が二基あったので、横から写真を撮ったり、




後ろに回って写真を撮ったりした。




すると、公園の後ろ側の入り口が開いていた。




というわけで、公園の中に入ることができた。




「白須松林址」碑、実に立派だ。




これは宗良親王の歌碑







甲斐叢記(甲斐名所図会) 「白須松原」

ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)


















関連性はないが、同じ町内の「道の駅 はくしゅう」に巨大な句碑があった。


目には青葉 山ほととぎす 初鰹 山口素堂


道の駅 はくしゅうに句碑

なお、碑は御影石、総重量16.5トン
書は田中角栄で、世話人は金丸信らしい。














白州にはサントリーの蒸留所があります







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