すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


四天王寺(大阪市天王寺区)





四天王寺は推古天皇元年に聖徳太子が建立。
曽我氏の飛鳥寺と並び、最古の仏教寺院の一つ。
歴史上、四天王寺は数多の書物に記されているが、文学的にはそれほど目立った登場の仕方をしていない。



その中で、吉田兼好「徒然草」

「何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず」と云ふ。天王寺の伶人の申し侍りしは、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて、ものの音のめでたく調り(ととのおり)侍る事、外よりもすぐれたり。故は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす。・・・・・・ 

とある。(天王寺は四天王寺の略称)
これを読むと四天王寺は舞楽の素晴らしさで有名であったらしい。
関西のテレビ番組を見ていると、四天王寺の舞楽が紹介されることがある。奇抜な衣装(朝鮮半島風?)を着て集団で踊っている。現在まで四天王寺の伝統は守られているようだ。




能『富士太鼓』は天王寺の楽人の「浅間」と住吉の楽人の「富士」が宮中の管弦の役を巡って争いを起こす内容。
二人の名前は変わっていて面白いが、
信濃なる浅間の嶽も燃ゆるといへば富士の煙のかひや無からん
この歌のとおり「浅間」が勝つ。
その後、勝った「浅間」が負けた「富士」を殺す。
そしたら「富士」の奥さんが住吉から都にやってきて、「富士」の衣装を着て怒りの太鼓を打つ。
 ・・・・・・といった内容。



う〜ん、なんかよく分からない。


とにかく四天王寺は昔から舞楽が盛んであったと。









とりあえず写真を掲載


有名な正門。
寺なのに鳥居がある。



正門から入ったところにある極楽門。
松下幸之助の寄贈。



手前、西重門。奥の右は五重塔、その左は金堂。



「義経の衣掛け松」があった。
頼朝に追われた義経が嵐の中を大物の浦から出航したが、途中で難破して住吉の浜にたどり着く。その後に四天王寺で休んだ後に吉野方面に落ちて行ったらしい。


  
  弘法大師像
  弘法大師の命日の毎月21日は門前に骨董市が並ぶ。











四天王寺を詠んだ和歌を紹介


同行に侍りける上人、月の頃天王寺にこもりたりと聞きて、いひ遣しける
いとどいかに西にかたぶく月影を常よりもけに君したふらむ 西行(山家集)




四天王寺と言えば「亀井の水」のようだ。 そこには「白石玉出の水」が湧いていた。



天王寺へまゐりて、亀井の水を見てよめる
あさからぬ契の程ぞくまれぬる亀井の水に影うつしつつ 西行(山家集)


にごりなき亀井の水を結びあげて心の塵をすすぎつるかな 中宮彰子(新古今和歌集)

諸人のむすぷ契りは忘るなよ亀井の水に劫はへぬとも 藤原定家

白石の玉出の水を手に汲みて結ぶちぎりの末はにごらじ 続後撰和歌集



金堂の伽藍のところから清水が湧いていて、それを「亀井の水」という。
せっかく四天王寺に行ったのに、亀井の水を見ないで帰ってしまった。(残念)
四天王寺には生き物のカメが大量にいるカメ池が有名であるが、あんまり関係ないのだろう。



能「弱法師」も四天王寺が舞台になっているが、よく知らないのでパス。

 


 










このページ、読み返してみたが、しんどい内容になっている。







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