すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
紫波(岩手県紫波町)
“紫波”と書いて「しわ」と読む。 この地名の由来の候補は古来いろいろあるようだが、一般的には現地にある志賀理和気神社(しがりわけ)から転じたものとされている。 志賀理和気神社は、日本の最北にある旧式内社なので由緒深い。かの坂上田村麻呂が蝦夷地討伐した折に創建されたとか。 ![]() これが志賀理和気神社。 それなりの社格が感じられた。 さて戦国時代、領主の斯波詮直が北上川で遊 覧した際に次のような歌を詠んでいる。 |
けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て | 斯波詮直 |
う〜ん、このページの最初の書出しで、志賀理和気神社から「紫波」に転じたと説明したが、いきなり異説の歌が登場。この歌によると、北上川の川底にあった赤い石が波に揺れて紫に見えたことから「紫波」となったと、領主その人が詠っている。まあよく分からないが。 その後、川底にあった赤石は引き上げられ、霊石として祀られている。 ![]() 鳥居の奥に赤石 ![]() これが赤石。 さて、この志賀理和気神社は北上川の西岸に位置する。 せっかくだから、赤石が沈んでいた北上川を見てみようと、道を探したが、真夏の神社境内にはあらゆる虫たちが跳梁跋扈していて、行く手を阻んだ(?)ので、川見学は断念。 春先はヘビが怖い。秋か冬なら雑木林でもスイスイと入っていける。 ![]() 北上川に続く道? 社殿の横にあったが、虫が怖くて入れなかった。 (どうでもいい話だが) 自分が子供の時、また小さな子供を育てていた時は、それほど虫が苦手ではなかった。むしろ虫を取りに森の中へ押入ったりしていたのだが、自分の子供が成長して虫取りをしなくなって以来、庭の草木に集る虫もダメになった。 位置関係はこんな感じ |
あと、江戸時代の南部藩の藩主は志賀理和気神社をことのほか厚く信仰し、次のような歌を残している。 |
御社はとまれかくまれ、志賀理和気、我が十郡の国のみをさき | 南部利視 |