すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


袖師(そでし)の浦(静岡市清水区)





超マイナーネタ



静岡県清水市の海岸だが、戦後に埋立てられて、現在では沖合まで物流拠点の港湾施設になっている。


東海道名所図会では
袖師浦
(前略)袖師浜は江尻より横須賀までをいうとなり。(中略)出雲国に同名ありて、古歌はみな出雲を詠めり。この袖師浜は古詠聞こえず

と、出雲国の袖師を詠んだ歌はあるが、ここは古くから歌に詠まれていないとの説明がある。

たしかに、近隣では清見潟や三保松原などエース級の歌枕がどっしりと構えており、また許奴美(こぬみ)浜や有度(うど)浜、興津川などサブ級も幅を利かせている。超ド級の富士山も目と鼻の先だ。

こんな中、清水湾の湾奥の、昔では珍しくもない砂浜海岸の地名をわざわざ和歌に詠み込むような歌人はいなかったのだろう。


・・・とか考えていたのだが、なんと室町時代の紀行文、覧富士記に作者の尭孝が袖師浦で詠んだ歌があるのを“発見”した。


雪深くおほふ袖師の浦人よいづくに富士を海松布(みるめ)刈るらし 尭孝法印(覧富士記)


この時、白雲が重なって富士山が見えなかったそうだ。

なお覧富士記の本文に、「袖師の浦は出雲国にあると聞いていたが、ここにも同名の地名がある」との記述がある。

たしかにインターネットで検索すると、島根県の宍道湖の嫁ヶ島を望む名勝として袖師ヶ浦が見つかった。

まあ覧富士記は、足利将軍の富士山遊覧に随行したときの紀行文であるが、膨大な量の富士山関連の和歌を詠んでおり、マイナーな袖師で詠んだ歌が一首ぐらいあってもおかしくない。

なお「おほふ袖」と「袖師」、「海松布(みるめ)」と「見る」を掛けている。



さて近代になり、袖師は砂浜海岸として市民の憩いの場となり、夏には海水浴客で賑わったようだ。大正年間には国鉄東海道本線に夏期の海水浴シーズンに臨時駅が設けられたようだ。臨時駅は戦後も続いたが、海岸の埋立てが進み砂浜がなくなったことから、昭和46年に廃止になったという。

今回、東海道歩き旅で袖師を通ったので、昔の袖師駅界隈を散策してきた。




袖師駅跡地
住所は静岡市清水区横砂南町10-10



袖師公園
臨時の駅舎があったらしい。



公園にあった「東海道線袖師駅跡」の案内板


袖師公園と東海道線踏切(左端に見える)



電車が通過、313系。



え〜と、これは当時東海道線に並走していた静岡鉄道清水市内線の線路跡。



路面電車で運行されていたようだ。この辺りに袖師駅。




袖師駅から海に向かう道。この先に袖師海水浴場があった。



現在はこんな状況。埋立地のずっと先に海。



これも



1961〜69年撮影の空中写真(国土地理院)。









東海道歩き旅、この日は清水駅から富士駅まで
歩きました。






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