すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
袖浦(山形県酒田市)
出羽国の著名な歌枕、袖浦。 ただ、「歌枕歌ことば辞典(笠間書院)」によると、 『本来は地名としてよまれたのではなく、「袖の裏」を「浦」に見立てた表現に、しだいに特定の地を求めてあてるようになった』 『当初からこの地のこととしてよまれていたかどうか疑わしい』 とある。 袖浦とは、現在の山形県酒田市の酒田港あたりのことであるが、京の都の歌人たちのほとんど誰も実際に現地に訪れたことはなく、多分、「袖の浦」というネーミングがとても使い勝手がよく、ついつい詠んでしまったのだろう。 これは能因法師の「能因歌枕」が大きく影響したものと思われる。 「能因歌枕」とは、平安時代の和歌の教科書的な歌学書で、その中で出羽国の歌枕として「袖の浦」を紹介している。 とりあえず「袖の浦」関連の歌を紹介 |
君こふる涙のかかる袖のうらは巌なりとも朽ちぞしぬべき | 拾遺和歌集 |
あふことの渚はいつもかわかねど今朝こそ袖の浦は異なれ | 兼澄集 |
くれし夜も朱の衣の袖の浦いとど白波声やをさめむ | 如願集 |
きぬぎぬに わかるる袖の 浦千鳥 なほ有明は ねど鳴かれける | 藤原為家 |
忍び音の 涙たたふる 袖の浦に なづまずやどる 秋の夜の月 | 西行 |
白妙の 袖の浦浪 よるよるは もろこし舟や 漕ぎわたるらん | 拾遺愚草 |
袖の浦たまらぬ玉のくだけつつ寄せても遠く帰る浪かな | 建保名所百首 |
袖の浦に ただ我やくと しほたれて 舟ながしたる 海人とこそなれ | 和泉式部日記 |
袖の浦にたれもかくれば海人ならで泣くを藻塩といふにざりけり | 壬生忠岑 |
人をのみこふ(恋)の湊に寄る波は袖をのみこそ打ち濡らしけれ | 夫木和歌抄 |
予想通り、袖=「涙」や浦=「波」の縁語のオンパレード。 そしてどれも出羽国の歌と感じさせない仕上がりであるが、「如願集」の『くれし夜も〜』は藤原定家が如願の出羽守就任を祝って詠んだ歌で、「袖の浦」から出羽を連想させている。 また『人をのみ〜』の歌の中の『こふ(恋)の湊』は「恋」と「国府」を掛けたもので、湊のすぐ東に出羽国府があったもの。 いろいろと出羽国とのつながりがあるようだ。 小難しい話はこれぐらいにしよう。 【現地リポート】 2018燃8月、袖の浦、現在の山形県酒田市を訪ねた。 |
ところが、当日は朝から大雨洪水警報が発令されていて、観光見物どころではなかった。![]() 訪問したのは名勝 日和山公園。 WIKIPEDIAよると、 日本の都市公園100選 日本の歴史公園100選 日本の夕日100選 そして、酒田市指定文化財。 ![]() すごい大雨で、観光どころではなかった。 ほかに観光客はいなかった。 ![]() 芭蕉像と句碑かな?見る余裕なし。 ![]() 展望台からの最上川眺望。 ![]() 案内板があったが、見る余裕なし。 ![]() 夕日百選のポイントとのこと。 そして、最上川が日本海に注ぐところが見えるらしく、松尾芭蕉の名句が生まれた場所。
![]() 日和山公園の芭蕉像の傍らに句碑 ![]() 日和山公園には文学の散歩道などがあり、いろいろと楽しめるようだ。多分もう二度と行くことはないと思うので、じつに残念。 え〜と、 もともとの「袖の浦」は最上川河口左岸の宮野浦のことであり、港町としてずいぶん栄えていたようだ。ところが最上川の氾濫による流路変更とかにより、港は現在の酒田市のある最上川右岸に移ってしまった。 だから、日和山だけではなく、対岸の宮野浦にも行くべきであったが、大雨のため断念したもの。返す返す残念である。 日和山公園にて撮影。 え〜と、何やったかな? ![]() 酒田市の地名では、正岡子規が「はて知らずの記」で詠んでいる。 |
正岡子規 |
NHKのブラタモリが大好きでよく見ている。 なんと、2018年9月に山形県酒田市を訪問。 約一か月違いで、日和山公園にも同じく訪れていた。 そして同じく雨が降っていた。 酒田市ってよく雨が降るのかな? ![]() 雨の中で最上川の出羽大橋からスタート ![]() 本当なら鳥海山が見えるはずなのに、雨で見えないため、鳥海山の写真パネルをバックに撮影。 ![]() こんなかんじ ![]() ![]() そして日和山公園へ ![]() ここまで来たら雨が止んでいたようだ。 |