すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


園原(そのはら)(長野県阿智村)









図書館で「古代東山道 園原と古典文学」(和田明美著)を借りて読んだ。

源氏物語のゆかりの地が信濃国の辺鄙な片田舎にあった、というもの。

よくもこんなマイナーなテーマで一冊の本ができたものだと感心している。

信州への旅行に行く前のタイミングでこの本に出会い、とても興味深く読むことができ、満足している。

出版元の愛知大学綜合郷土研究所、ありがとう!














この地域はもともと万葉集の「神坂(みさか)」の歌枕としてそれなりの存在感があった。防人(さきもり)たちが険峻な神坂の峠を越えていく様は格好の題詠となった。

ところが中世になり、防人も廃止されて東歌(あづまうた)も流行らなくなると、神坂も歌枕としては廃れていった。

近くにあった「あふちの関」も逢坂山と似ていることから一時は歌枕として盛り上がったが、すぐに下火になった。

そんな中、平安時代初期の三十六歌仙の一人、坂上是則が園原にある帚木(ははきぎ)をモチーフとした恋の歌を詠み、爆発的なヒットとなった。

これがその歌


園原伏屋に生ふる 帚木のありとてゆけど逢はぬ君かな 坂上是則(古今和歌六帖)
園原の伏屋に生えているというほうき草が有るかのように
見えながら無いように、いるように見えるのに逢ってくれない
あなたであることよ(歌枕歌ことば辞典)



三句までが序詞。
女性に居留守を使われているのに、こんな雅びに詠うことができるとは、前向きな性格なのだろう。

この歌を本歌として、以後さまざまな歌人に園原は詠まれるが、大きなテーマは帚木で、「あるにもあらず」「有るように見えて実は無かった」「結局逢えず」といった内容でまとめられることが多かった。








■ 現地訪問


夕方の大雨の中、訪問。
いろいろ行きたい場所があったが、ほぼ取り止めた。

地図で見るよりはるかに険しい地形であった。




雲が湧き上がっていた。




園原社の入り口。廣拯院月見堂の左手にある。




この石段を上っていくと園原社。写真では見辛いが、上の方に建物が見えるところ。もちろん訪問は断念した。




ここは謡曲「木賊(とくさ)」の謡跡である。













園原を詠んだ歌は大量にある。
Wikipediaの「園原」のページに50近い歌が紹介されているので、そちらも見てください。


さて、「あるにもあらず」の帚木で有名になった園原には文人たちが集い、秋には観月の会が催されるようになった。


観月のための月見堂が建てられ、園原は観月でも有名になった。
そしてこの歌


木賊(とくさ)かる園原山の木の間よりみかかれ出る秋の夜の月 源仲正


廣拯院月見堂の敷地に歌碑



















晴れた日に再訪したいです






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