すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


菅原(奈良市)







奈良市の「菅原」を詠んだ万葉歌


大き海の 水底深く 思いつつ 裳引き平しし 菅原の里 万葉集



奈良市の喜光寺内に歌碑
(寺の前の陸橋から撮影)

奈良市のホームページに見事な解説があったので、転記させていただく。

菅原の里は平城京右京三条あたりで、今もその地名が残ります。この歌を歌った石川女郎の家があった所でしょう。万葉集の左注には、「藤原宿奈
麻呂の妻、石川女郎は夫の愛が薄れて離別させられ、その悲しみと恨みをよんだ歌」とあります。
「大きな海の水底のように深く私の心の底に思いを込めながら、美しい色の
裳の裾(現在のロングスカート)を引いて、あなたをお待ちして行ったり来た
りした菅原の里よ、そんな幸せな時もあったのに、今はああ・・・」と歌いま
す。
当時、夫は妻のもとへの通い婚でした。妻はひたすら待つのです。藤原宿奈麻呂は不比等の孫、式家宇合の二男、のちに良継と改名しました。
喜光寺は行基菩薩によって養老5年(721年)に建立され、古くは菅原寺
と言いましたが、兵火に焼かれ、室町時代に再建されました。行基は82歳でこの地で没したようです。
(文 奈良市に万葉歌碑を建てる会 長岡玲子)

万葉ゆかりの地をたずねて 〜万葉歌碑めぐり〜 にリンク







奈良市菅原の喜光寺、昔の菅原寺に行ってみた。



南大門と本堂。どちらも立派で素晴らしい!



寺の前の陸橋から撮影。本堂は国の重要文化財らしい。



この日は本堂の屋根の修理をしていた。屋根の上に職人さんが上っていた。

(この日は閉鎖されていた)





延暦元年(782年)、この地に住んでいた土師氏が桓武天皇から菅原姓を賜ったという由緒深い菅原の地であるが、現在の姿はこんな感じ


阪奈国道が通っていた。
この辺は奈良市の一般的な住宅商業混在地の風景であった。














屋根の職人さんの作業の様子は見ていて飽きないものでした。





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