すさまじきもの 〜歌枕
★
探訪〜
勝呂
(
すぐろ
)
(埼玉県坂戸市)
旅ならぬ袖もやつれて
武蔵野
や
すぐろ
の
薄
(
すすき
)
霜に朽ちにき
道興准后(
廻国雑記)
勝呂廃寺の敷地に歌碑
現地の案内板に優れた解説文が掲載されていたので転記する。
広大な武蔵野台地の北端に位置するこの地は、縄文時代の遺跡をはじめとして、勝呂神社古墳などに代表される古墳群や、奈良時代創建の勝呂廃寺の存在で早くから文化の開けた地域として知られている。また平安時代の末には武蔵七党の村山党の一族が来住して勝氏を名のって力があり、その勢力圏であった勝呂地区全域にわたり県下では他に例を見ない多くの六字名号の板石塔婆を遺存させるなど特異な文化をつくっていた。
武蔵野の冬の風物を、霜枯れのすすきや、すぐろの地名をたくみに折り込みながら詠んだこの歌は、聖護院門跡道興准后が文明十八年(一四八六年)の暮から翌年の正月にかけて、武蔵国に滞在した折りに、勝呂の地を訪れた時の作で、その時の紀行文「廻国雑記」に記されている。 坂戸市教育委員会
昭和五十九年三月二十日
■ 現地訪問
勝呂廃寺(史跡) ・・・ 埼玉県坂戸市石井357
道興准后
の歌は冬に詠まれたものであるが、私は真夏に訪問
建物の柱が立っていた穴にコンクリート柱を埋めてたもの
ここに勝呂寺が建っていた
現地案内板のイラスト
歌碑や案内板が設置されて、史跡として整備されていた
一年間に何人ぐらいに人が勝呂廃寺を訪ねてやってくるのだろうか
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