すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
正岡子規は紀行文も多く残している。 明治24年、子規は学校の試験を放棄して旅に出た。 軽井沢から善光寺を巡り、木曽路を経由して岐阜県に至る旅程を綴ったのが「かけはしの記」。 「此日は朝より道々 |
寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月出づるほどの空だにもなし | 正岡子規(かけはしの記) |
須原宿は木曽谷の底に位置するので、高い山に挟まれて、空は月が見えるような広さがない、月見を楽しむこともできないという意味。 鴨長明の「出づる嶺入る山の端の近ければ 木曽路は月の影ぞみじかき」と同じような内容。 ■須原宿訪問 ![]() 須原宿 山の端が迫っている ![]() これも ![]() 脇本陣跡 ![]() これは水舟という。湧水を溜めているらしい・ ![]() 須原宿は「水舟の里」というようだ。 |