すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


忠盛塚(三重県津市)




平清盛の父の平忠盛は、検非違使や播磨・伊勢・備前の国守、追捕使などでの活躍が認められて、武士の中で初めて昇殿を許されることとなる。
それが貴族たちの恨みを買い、「殿上の闇打ち」をされそうになったり、「伊勢瓶子は酢甕なりけり」とからかわれたりした。
それでも忠盛は財力、政治力を駆使するとともに、和歌などの教養を研鑽し、宮廷での勢力を拡大していった。
(平家物語「殿上の闇打の事」)


忠盛は御所に仕える女房に通っていたが、ある時、その女房の部屋に月を描いた扇を忘れたのを、他の女房に発見されてしまい、女房連中から「これはどこから出た月影なのか、出所が怪しい」と嘲笑された。これに対し忠盛の女は、


雲居よりただもりきたる月なればおぼろげにてはいはじとぞおもふ 薩摩守忠度母(平家物語)
(私訳)雲の間からただ洩れてきた月影は、朧ろげにしか見えなかったので何ともいえません。 


と、返した。
それを聞いた忠盛はますますこの女房を好きになったそうだ。
なお、忠盛とこの女房は結局「似た者夫婦」だったとのこと。
(平家物語「鱸」)



平家物語によると、なんと!この女房は平忠度の母のことらしい。
たしか忠度は忠盛が上皇の熊野御幸に供奉していったときに、現地妻に産ませた子だと云うことだったが、どうなのかな。

それはそうとして、

平忠盛は伊勢平氏として伊勢国につながりがあり、安濃津、現在の津市に忠盛の墓がある。
「忠盛塚」として昔から史蹟が整備されている。



こんなかんじ



これが「忠盛塚」



「忠盛塚」碑
何が書いてあるのか剥落して全く読めない



「史蹟 平家発祥伝説地」の石碑



そしてこれが「忠盛の産湯池」
う〜ん、産湯があって、塚もあるのなら、忠盛はこの地で生まれこの地で死んだことになるけど。



平家と言えば、「梛(ナギ)の木」




とにかく、平家は伊勢に地歩を築いていたようだ。














若い頃、平家物語の史跡巡りをしてました。





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