すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


田原滝(山梨県都留市)





名勝 田原の滝








天和二年(1682年)の暮れの江戸の大火で深川の庵を失った松尾芭蕉は、弟子の高山傳右衛門(麋塒(びじ))を頼って甲州谷村に逃れてきた。

甲州滞在は半年にも及び、芭蕉は富士山を望むこの地で句会を催したり、勝地佳景を巡ったりしながら、後世に残る多くの句を詠んだ。


当地の名勝 田原滝にも訪れている。


現地に松尾芭蕉の石像があった




新型コロナウイルスの感染拡大防止のためマスク姿の松尾芭蕉




実は、現在の田原滝は人工の構造物らしい。
かつての田原滝は、上下二段のダイナミックな滝だったが、流水による浸食で渓岸の崩落が相次ぎ、また滝も後退し、周辺の民家に被害が及ぶ恐れが出たことから、コンクリートの堰堤が建設されたもの。




景観に配慮した工法が実施され、昔の美しい渓流景観が再生された。



【現地案内板を接写】

左、明治末期、ダイナミックな滝
右、昭和30年以前
上下二段の滝のうち、下段の滝は直下20メートルほどもあり、滝の音が響いていた。
明治31年、両岸が崩壊し一段の滝になった。
関東大震災後には滝の位置が30メートル後退した。




昭和30年頃から平成10年頃
砂防堰堤が設置




平成10年頃
むき出しのコンクリートにより趣のある渓流景観は失われた。




失われた渓流美を取り戻すための景観形成が実施され、かつての柱状節理の美しい渓流の風景が再生された。



現地の案内板を実に興味深く読んでしまった。






そしてこれが現在の田原滝。
富士山噴火の溶岩が冷えてできた柱状節理、これもコンクリートで再現されている。見事である。







松尾芭蕉が田原滝で詠んだ句

勢ひあり氷消えては瀧津魚 松尾芭蕉


現地佐伯橋の東詰に句碑



「田原の滝の氷柱も消え、富士の雪解けで水増した桂川の清流に踊る魚と共に春を喜ぶ心情を詠んだ句」(現地案内板による)
















川の浸食に興味があります






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