すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
2021年5月のゴールデンウィーク、 中国の武漢で発生した新型コロナウイルスの感染が拡大し、日本でも何度目かの緊急事態宣言が発出されている中、 感染予防の三密(密集、密接、密閉)を避けながら、大阪から京都まで、街道歩きを楽しんだ。 大阪から京都へは、昔の京街道が淀川に沿って、というよりも、淀川左岸の河川堤防がそのまま京街道になっていて、淀川の流れや対岸の北大阪の山々を眺めながらの、実に爽快なウォーキングコースとなっていた。 ![]() 堤防の上をひたすら歩いた ![]() 鳥飼仁和寺大橋が見える 素晴らしい斜張橋だ ![]() この日は、大阪の京橋駅から枚方まで歩いた。 あと二回の行程で京都に至る予定。 堤防の上から伝説の 日本書紀の頃、淀川左岸の堤防が決壊し大きな被害が出たのだが、決壊地点のことを、「堤防が絶えた区間」の意味から「絶間」と呼んだ。 そしてそこには絶間池があったらしい。 河内名所図絵には、 と記されている。 江戸時代には、池の水が干上がって、田んぼになっていたとのこと。 なお、絶間の「絶」という文字は縁起が悪いということで、構成になって太間と表記されるようになった。 ![]() これが現在の絶間池! ![]() 拡大写真 絶間池を詠んだ歌 |
逢ことは絶間の池のかきつばたへたつる中と成やしぬらん | 六条院宣旨(夫木和歌抄) |
予想通り! 逢うことが「絶えた」という内容で詠まれている。 |