すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


間人(たいざ)(京都府京丹後市)






丹後半島の後ヶ浜海岸に間人皇后と聖徳太子の親子のブロンズ像が建っている。

丹後半島ののこんな場所に大和政権のエピソードが伝わっていることに驚いた。

どんなエピソードなのかと言うと、え〜と、よく分らないので京都府観光ガイドというホームページの「間人皇后・聖徳太子母子像」のページから説明文を転載する。

6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。里人は皇后の名をそのまま地名にするのはおそれ多いとして、皇后の御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と読み伝えたといわれている。彼女の滞在を記念したこの像は、受けた恩を忘れぬように、そして里人がいつまでも優しい心をなくさないようにと願い、間人の海を見守るように優しくたたずんでいる。
間人皇后・聖徳太子母子像










元々は大浜の里という村であった。
間人皇后は大和の斑鳩に戻る時に村人たちへ「間人」という地名を贈り、三首の歌を詠んだ。


大浜のあら塩風に馴れし身の またも日嗣のひかり見るかな 間人皇后


大浜の里にむかしをとどめてし 間人村と世々につたへん 間人皇后


大浜につとふみやこのことの葉は 行末栄ふ人の間人 間人皇后



飛鳥時代の貴族が詠んだ歌とは思えないぐらい平明な言葉を使っている。まさか間人皇后本人がこれらの歌を詠んだのではないだろう。













この海岸には立岩という柱状節理の発達した巨岩があり観光地になっている。


親子像の向かいにある
山陰ジオパークの代表的な海岸地形である



親子像から東向き
同じように柱状節理の発達した岩が露出している



こちらは親子像から西向き
海水浴場ということだが、真夏に行ったにもかかわらず誰もいなかった









グーグルアース、立岩を海側から














間人ガニを食べに行きたいです






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