すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


胎蔵寺跡(たいぞうじあと)(広島県庄原市)







今櫛山(いまぐしやま)伝説】


(内容を簡記します)

・広島県庄原市の今櫛山にまつわる伝説
・室町時代の頃、 大富山城主久代宮氏(くしろみやし)九代景盛公(きゅうだいかげもりこう) に、照日の姫君という息女がいた。
・姫は胎蔵寺の花見に出掛け、そこで姫に一目惚れした東左近という侍から求愛を受けた。
・ところが姫は政略結婚で三河内の殿のもとへ嫁ぐことになった。
・姫は侍のことが忘れられず、朝日山を越える途中の休憩で池に身を投げた。
・姫がいないことに気付き、あたりを探すと、朝日山にある池に姫の櫛が浮んでいた。
・それからは、朝日山を今櫛山といったそうな。



あらすじを簡単に書くとこんなかんじ。


胎蔵寺の花見で出会った二人が交わした相聞歌が伝わっている


我が恋は岩津の山の桜花 言はず散りなんことの悲しき 東左近

思へども我も岩津の花なれば さそふ嵐に散らざらめやは 照日姫


岩津山は胎蔵寺の山号。

「言わず」を掛けた奥ゆかしい歌である。

当時の胎蔵寺は七坊を数える大寺院であったらしい。境内は桜の名所になっていたようだ。

尚、胎蔵寺はその後に福山城下に移転し、福山藩の祈願寺となり、現在も残っている。











【訪問先を間違えました】


胎蔵寺は移転しているので、その跡地に訪問するべきところ、どんなバイアスがあったのか、同じ西城町中野の中野八幡神社に行ってしまった。

そして中野八幡神社こそ胎蔵寺の跡地だと思い込んで、なにか古跡が残っていないか注意深く散策した。

当然、なにもなかった。


中野八幡神社 (庄原市西城町中野842)



鳥居の傍らに桜があったので、これが岩津山の花見かと



どうもおかしいと思いながら中野八幡神社を後にした。

結局、家に帰ってから訪問地を間違えていたことが発覚。

これが胎蔵寺の跡地

中野八幡神社から南へ2キロメートルほど

ストリートビュー、この階段を上ったところにある













【今櫛山は写真が撮れませんでした】


次に、西城町中野から6〜7キロメートル西にある今櫛山の写真撮影に向かった。

こちらは予め国土地理院の地形図でだいたいの地形を把握。

標高946メートルの今櫛山なら麓からバッチリ狙えると考えていた。


赤線に沿って車で移動。

これだけ車で走れば、どこかで撮影ポイントがあるだろうと。

ところが、

これだけ独立峰っぽい山容なのに、撮影できなかった。
最後は繁茂した木々の中を走り、どちらの方角にあるのかも分らなかった。


まあ、そこまで思い入れがあるかというと、それほどでもなかったので、車を引き返してまで写真を撮ろうという気持ちもなかった。








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とにかく本当の田舎でした






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