すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
古事記の中の履中天皇のエピソード。 ある日、履中天皇は難波宮で宴会をし、飲みすぎて寝てしまった。 そのタイミングを狙って弟の墨江中王が宮殿に火を点け、反乱を起こした。 履中天皇の部下が寝ていた履中天皇を馬に乗せて連れ出し大和へ向かった。 丹比野(多遲比野)で目を覚ました履中天皇は、次のような頓珍漢な歌を詠んだ。 |
古事記 | ||
丹比野で寝るのが分かっていたら薦(風除け)をもってきたのに |
このエピソードが本当かどうか分からない。 丹比野(多遲比野)については、現在の大阪府松原市や羽曳野市の辺りのことで、古代に丹比郡が置かれていた。 羽曳野市には「丹比」の地名が残るが「タンピ」と読む。 隣の堺市美原区には「多治井(タジイ)」の地名がある。 訪問先として選んだのは、松原市にある柴籬神社。 履中天皇の弟の反正天皇が都を難波から丹比に遷し、丹比柴籬宮を造営したのだが、これが現在の柴籬神社の地であったと伝えられる。 【柴籬神社】 ![]() 訪問したのは8月2日。 昼間から、夏祭りか何かの準備をしていた。 ![]() 参道に沿って紙灯篭を並べていた。 夜に見たらきれいだろう。 ![]() 拝殿 ![]() 「反正天皇柴籬宮阯」碑 井原西鶴もここを訪れて、発句している。 |
柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉 | 井原西鶴 |
句解はむつかしい。 なお、丹比柴籬宮跡は「松生いし丹比の松原」といわれ、「松原」という地名の由来になったとのこと。 |
訪問データ | |
訪問地 | 柴籬神社 |
住所 | 大阪府松原市上田七丁目12番22号 |
駐車場 | 有り |
WGS | 34.571564, 135.559820 |