すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
松原や高洲のこずゑ超るまで月の出しほの更にけるかな | 今川了俊(鹿苑院殿厳島詣記) | |
松原の気色よ、高洲に立る松の梢をも浪の越るかと思はるゝまでに 月の出潮の満たらひて、夜の更わたること哉となり 『周防府松崎天神鎮座考』 |
月の出る頃より満潮に向かう潮の流れを「月の出潮」というらしい。 厳島詣の旅に出た将軍足利義満と随行員たちは、周防国府の南の三田尻に上陸し御旅所を立てた。 そこは松原が広がり 厳島大明神は、当初こちらの松原の地に降臨し、その後に安芸の宮島へ遷っていったと伝わっている。 現在も三田尻の本町通りから新回までを高洲という。昔はこの辺りは全て松原だったという。 ■ 現地訪問 ちょっと失敗した。 三田尻、三田尻と考えていて、到着したのは江戸時代の長州藩の「三田尻御舟倉跡」。今は街中だけど、江戸時代はここまで海が入ってきていたのだ、とか思いながら写真を撮った。 ![]() ![]() ![]() 三田尻御舟倉跡 ここに長州藩の船倉があった (山口県防府市三田尻3丁目3?13) 家に帰って整理をしていて、本当に行くべきだったのは、松原厳島神社(防府市華浦2丁目1?3)だったことが判明。将軍足利義満たちが滞在した石上厳島大明神の場所である。周辺には名勝「鞠生松原」の松林が今でも広がっていて、昔ながらの風趣を保っているらしい。 実に残念無念。 |