すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


武田耕雲斎墓(福井県敦賀市)





1864年、武田耕雲斎が率いる水戸天狗党は、尊王攘夷を唱えて挙兵。朝廷に志を訴えようと京都へ上る途中、敦賀の新保で捕らえられた。

天狗党は、冬の鰊蔵(にしんぐら)に押し込められ、幕府の厳しい取り調べを受けた。

その結果、党首の武田耕雲斎以下353名が斬首された。

屍は埋葬されて、その後に墳墓が整備された。

現在は、墳墓は「武田耕雲斎等の墓」として国の史跡に指定されている。また道路を挟んで西側に水戸天狗党を祭神とする松原神社が創建された。



水戸天狗党党首の武田耕雲斎の辞世


かたしきて()ぬる鎧の袖の上におもひぞつもるの白雪 武田耕雲斎


討つもはた討たるるもはた哀れなり 同じ日本のみだれと思へば 武田耕雲斎


雨あられ矢玉のなかはいとはねど 進みかねたる駒が嶺の雪 武田耕雲斎
天狗党は中山道経由で敦賀にやってきた




そのほか、天狗党の辞世のうち、敦賀を詠み込んだ歌


たとへ身は敦賀の里にさらすとも などたゆむべきもののふの道 岸信蔵


おもふことうたて敦賀の雪 とけてのどけきはるや待つらん 伊藤健蔵













現地を訪問したが、致命的なミスを犯した。
武田公雲斎の墓には行ったものの、水戸天狗党を祀る松原神社には行かなかった。松原神社がそのような神社だということを知ったのは、旅行から帰ってきてからのこと。
ちらっと神社があるのは見えていたが、地元の氏神様程度の神社だと、その時は思った。
鰊蔵まで移設保存されていたとは、残念。事前の情報収集ができていなかったもの。




武田耕雲斎等墓


入口




墳墓




墳墓の前に武田公雲斎像




水戸烈士追悼碑




このような石碑が無数にあった。













松原神社の名称が一般的過ぎました






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