すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


玉田横野(仙台市青葉区)




玉田横野は現在では立派な宮城野の歌枕とされているが、実際のところ、仙台市内のどこが玉田横野なのかというと、まったくあやしい。

あやしいどころか、玉田横野はそもそも本当に陸奥の歌枕の地なのか、今となっては平安時代の東北地方のことなどよく分かからない。


< 簡単に説明すると次の通り >

平安時代末期の歌人である源俊頼がこんな歌を詠んだ

とりつなげ 玉田横野はなれ駒 つつじの岡あせみ咲くなり 源俊頼(散木奇歌集)
(私訳)だれか、玉田横野で走りまわってる馬を捕まえてくれ、
つつじヶ丘にはあせびの花が咲いているのだから

もともとは摂津の横野(大阪市生野区)辺りを詠んだ歌だとされていたが、

「はなれ駒」(自由に走り回る馬)がキーワードとなって、馬の産地である陸奥の歌の可能性が出てきて、

江戸時代に、仙台藩が藩内の歌枕の登録作業をする中で、大淀三千風により仙台の歌枕と設定された。

そんなとき、芭蕉と曽良が奥の細道巡りで仙台にやってきて、大淀の弟子が二人を玉田横野(とされる場所)に案内した。

二人は「奥の細道」と「曽良日記」に歌枕の玉田横野に行ったことを記した。

この結果、玉田横野は「芭蕉も訪れた歌枕」になった。

でも、それがどこなのか、よく分からない。


二人の紀行文を読んでみる。




【奥の細道】
 宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・横野躑躅が岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、ここを木の下と云とぞ。
奥の細道では訪問地を羅列しているが、場所がよくわからない。



【曽良日記】
 権現宮を拝、玉田・横野を見。躑躅が岡ノ天神ヘ詣、木の下ヘ行。
曽良日記では、なんとなく行ったところの順番が線になる。
権現宮(仙台東照宮)を拝んだあと、玉田横野を見て、そのあとに躑躅岡の天神に詣でている。
つまり、玉田横野は仙台東照宮と躑躅岡の間の地点から見える場所であろう。



こんなかんじ

赤い円の中の辺りが玉田横野???







仙台市に行くときに、仙台東照宮に詣り、そこから玉田横野を眺めることにした。


石鳥居(国・重要文化財)
伊達忠宗公の奉納によるもので笠石の反りの緩やかな、明神鳥居形式の美しい形の鳥居である。鳥居の部材は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬し建てられた。
(仙台東照宮のホームページの説明)

この日は正月明けで、縁日の日であった。



仙台東照宮から玉田横野の眺め。



もう一枚。
う〜ん、よく見えないな。











いろいろな資料を当たりましたが、よくわかりません。
仙台の図書館に行けばなにか資料があるのでしょう。







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