すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


玉造(大阪市中央区)






JR玉造駅前にある商業施設。国鉄時代の通勤電車103系車輌を模している。







子供の頃、親だったか祖父だったか忘れたが、大阪城の周辺では明治維新から昭和の敗戦まで戦争用の武器を作っていて、とりわけ砲弾を作っていた場所の地名が「玉造」になったと教えられた記憶がある。空襲で破壊された大阪砲兵工廠の一部だったんだと子供ごころに理解していた。


大人になって、戦国時代に豊臣秀吉が大阪城の近くで鉄砲や大砲の玉を作っていた場所なので「玉造」になったと理解するようになった。
あんまり大阪城に興味がなかったのでそれ以上深く考察することもなかった。


今回わかったこと。
玉造とは、古代大和朝廷で勾玉を作っていた玉作部の居住地であったことが地名の由来。日本書紀にも玉造の記述があるようだ。
詳しくは玉造稲荷神社のホームページへ。








そんな玉造稲荷神社へ行ってきた。


【玉造稲荷神社】 ・・・ 大阪市中央区玉造2丁目3番8号

創建は垂仁天皇18年(紀元前12年)という。
上町台地にある。



東側の入り口



豊臣秀頼の像。ゆかりがあるようだ。



豊臣秀頼が奉納した鳥居。
阪神大震災でダメージを受けたので上部と下部に分けたとのこと。



千利休を偲ぶ「利休井」



「玉造黒門越瓜ゆかりの地」記念碑
江戸時代には玉造は「白瓜」の産地であったらしい。ここには大阪城の玉造門があって、その門は黒かったので「黒門」と呼ばれていた。
狂歌が残っている。

黒門といえども色はあおによし奈良漬にして味をしろうり 貞柳

黒と青と白を掛けているようだ。
記念碑の手前に畑があったので、現在もここで白瓜が栽培されているのかも。











さて、こんな由緒のある玉造を詠んだ歌を紹介



湊入りの玉つくり江にこぐ舟の音こそたてね君を恋ふれど 小野小町(新勅撰集)


境内に歌碑


う〜ん、個人的には小野小町は東北にゆかりがあるので、宮城県大崎市の玉造江、現在の江合川を詠んだ歌のように思う。



ただし、大阪の玉造にも少し前まで玉造川があったことはあった。
猫間川といって、上町台地の東麓を北上する小さな川であったが、昭和30年代に埋立てられて消滅している。往昔は玉造川とも呼ばれていたらしい。



玉造稲荷神社へ訪問した折に、その玉造川、消滅前の猫間川の痕跡を求めて歩いてみた。



コンクリート橋の欄干部分が残っていた。



こんな感じ。



川筋跡





もう一つ、玉造川の歌



ひとつして萬代照らす月なれば底も見えけり玉造川 夫木和歌抄













マークは猫間川欄干跡






河川跡の探索は楽しいです






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