すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
全国どこに行っても和泉式部の伝承地があるが、石見地方にもあった。 簡記すると、 和泉式部は九州の父親を訪ねるため、山陰路を西へ向かった。 石見国の国府近くで産気づき、宿を求めたが、無情にも断られて、一人で出産した。 出産した場所は「 そして和泉式部が詠んだ歌 |
憂き時は思ひぞ出づる石見潟 袂の里の人のつれなさ | 和泉式部 |
この歌を5分ぐらい眺めているが、よく分らない。 いったい「袂の里」はどこなのか、生湯町のことなのか。 「袂」は『和服の袖の下の袋状のところ』らしいが、なにか出産とかと関係あるのかな。 そもそもいくら出産は穢れるといっても、高貴な平安貴族の女性が下々の人に断られることがあるのかな。 そしてこの歌は本当に和泉式部の作詠なのか いろいろと疑問は尽きない。 ■現地訪問 現地訪問であるが、予めインターネットで調べてみたが、史跡などは整備されていない様子であった。 ただ、「生湯町」には多陀寺という由緒深い寺院があるので、そこに行けばなにかあるかなと考え、取り敢えず多陀寺へ行ってみた。 多陀寺 ・・・ 浜田市生湯町1767番地 ![]() 山門 ![]() 毎年春の初午大祭は石見三大祭とされ、多くの参拝客が訪れ、多数の露天商が並ぶらしい。 ![]() 良縁子宝椿観音。椿の木が根元で分れて連理となっている。 子宝成就なので和泉式部の石像かなと思ったが、違った、観音像だった。 なんと、島根応援サイト「リメンバーしまね」というホームページにこんな写真が投稿されていた。 『小次郎』氏の「生湯」に投稿されていた写真 ![]() 「平安朝 和泉式部の里 生 湯」 こんな素晴らしい看板、どこにあったのだろうか。 |