すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
天辻峠(奈良県五條市)
幕末シリーズ 今回は天誅組ゆかりの地めぐり 時は幕末、文久3年(1863年)、尊王攘夷運動がピークに達していた時期に、土佐藩の脱藩浪士たちが挙兵し、大和国五条の代官所を襲撃したのが天誅組の乱。 しかし直後に京都では政変が起こり、尊王攘夷派は駆逐されることとなった。 守勢にまわった天誅組は、幕府軍からの攻撃を防ぐために五条から天辻峠に本陣を移した。 天辻峠は要害堅固な地であるとともに、旅籠や商店のある集落もあった。そのなかで資産家の鶴屋治兵衛の邸宅が本陣とされ、遠く十津川や高野山の郷士たちを募った。 ・・・と、こんないきさつである。 結局は幕府軍に追い詰められ、天辻峠の鶴屋治兵衛邸の本陣に火を放って退却した。天誅組の蜂起は失敗となった。 現在、天辻峠の本陣跡(鶴屋治兵衛邸跡)は「維新歴史公園」として整備されている。 ![]() こんな公園 ![]() 「義烈 鶴屋治兵衛翁碑」 ![]() 「天誅組本陣遺趾」碑 ![]() 敷地内に天辻延命地蔵尊堂というのがあった ![]() 維新歴史公園へは、向こうからやってきて、ここでUターンして左の小道を上っていく。 ![]() 峠からの眺め ![]() これも |
天誅組関係の歌が残っている。 |
榧の実の 嵐におつる おとづれに 交じるもさむし 山雀の声 | 伴林光平 |
むす苔の 簾の里に 住居ても 憂目ばかりは 隔てざりけり | 伴林光平 |
討つ人も 討たるる人も 心せよ 同じ御国の 御民なりせば | 野崎主計 |
え〜と、伴林光平は幕末の国学者で歌人。天誅組に参加。幕府軍により捕縛され、のちに刑死。 野崎主計は十津川出身の郷士。 |