すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


陶器(とうき)(大阪府堺市)




いろいろ考えると混乱してくる。

とりあえず、書いてみる。


■大阪府堺市に「陶器」(とうき)という地名があり、

■この付近を含む大阪南部の丘陵地帯は弥生時代、「須恵器」(すえき)の生産地であった。

■とくに泉北丘陵の窯を「陶邑窯」(すえむらかま)という。

■平安時代、「陶器」と書いて「すえもの」と読まれていた。


つまり、「陶」は「すえ」であって、「須恵器」は「陶器」で、現在堺市の地名として残っている。



上記、読み返してみて、なんかよくわからないが、とにかくこういう経緯もあって、堺市の陶器付近は古代から当時の政権と深いつながりがあったらしい。



こんな陶器の地を詠んだ歌


梓弓(すえ)の原野に鳥狩(とがり)する君が弓弦(ゆづる)の絶えむと思へや 万葉集


陶荒田神社の境内に歌碑

*梓弓はスエの枕詞


この辺りは大和政権御用達の狩猟の原野が広がっていたようだ。









現在、陶器の地には陶荒田神社が鎮座している。(別名:陶器神社と呼ばれている)
家から近いこともあって、真夏の日曜日に訪問した。


入口



拝殿



真夏に行ったので、蓮の花が咲いていた。



神社の周辺の風景、その@



そのA



一度ゆっくりと散策してみたい。








じつは、「すえの原野」については、他にも候補地がある。

@奈良県五条市の「須江」。統(すえ)神社の辺りとされている。大和政権の狩猟地であった「宇智の大野」が近くにある。(訪問済み)

A愛知県豊田市の「末野原」。持統天皇が三河国に御幸した記録に基づくらしい。











とにかく、上記の万葉集が影響し、さまざまな歌人が「陶の原野」を詠んでいる。

梓弓陶の原野にこめつればあさるきぎすの声のみぞする 俊恵法師
梓弓陶の原野に引きすえてとかへる鷹をけふぞあはする 藤原定家
ぬれつつぞしひてとかりの梓弓末の原野に霰ふるらし 九条道家
ながつきや末の原野の色よりもなほ枯れまさる虫のこえごえ 藤原範宗












「陶器」っていう地名、昔から変やなあと思ってました。





copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 〜すさまじきもの〜 all rights reserved.