すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
鳥籠山(滋賀県彦根市)
滋賀県彦根市の大堀山は昔は「鳥籠山」と称した。 「鳥籠山」と書いて「とこのやま」と読む。 トリのカゴではないようだ。 鳥籠山の歴史は古い。 壬申の乱で、大海軍と朝廷軍がこの辺りで戦ったのが「鳥籠山の戦い」で、大海軍が勝っている。 この鳥籠山を詠んだ万葉歌が残っている。 |
犬上の鳥籠の山にある不知哉川 いさとを聞こせ我が名告らすな | 万葉集 |
「犬上」と「鳥籠山」と「不知哉川」の三つの地名がある。 近江国の犬上郡にある鳥籠山の横を流れている不知哉川で、この歌はここまでが序詞で、四句目の「いさ」を導いている。 次の歌も地名が三つ入る |
近江道の鳥籠の山なる不知哉川 日のころごろは恋ひつつもあらむ | 万葉集 |
どうも鳥籠山と不知哉川はセットになっているが、これは鳥籠山のすぐ横を不知哉川が流れていることによるもの。 こんなかんじ ![]() 左の山が鳥籠山。すぐ横を不知哉川が流れている。 「歌枕 歌ことば辞典」(笠間書院)によると、平安中期まではパッとしない歌枕であったようだが、中期以降は歌枕として定着したようだ。 鳥籠山が「床の山」と読めることから、「床」の縁で、「寝る」「枕」「伏す」などの語とともに詠まれた。また「常(とこ)」と掛けて「かわらぬ」と表現したものもある。 たしかにこれらの縁語は一般的で、応用範囲が広い。 しかし、鳥籠山が歌枕として定着した一番の要因は、山の西北縁を中山道が通っていて、多くの旅人が日々行き交い、そして旅人がこの丸みを帯びた山容に愛着を持ったからだろう。 ![]() 不知哉川を渡る橋は中山道。鳥籠山のすぐ横を通る。 ![]() 中山道の橋。 まさに中山道と鳥籠山の位置関係を表わす写真。 鳥籠山の連続写真 ![]() ![]() ![]() ![]() たしかに丸っこい形で愛着が湧きそうである。 |