すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


富雄川(奈良県斑鳩町)











富雄川って、泡沫的な歌枕の地だと思っていた。

ところが、資料を集めていくうちに、それなりにゆかりを持つ歌枕であることが判明。
しかも、さまざまな歌碑が設置されていることも分かってきたので、きちんとした訪問計画を立てて現地に赴いた。



※富雄川を集中的に考察しているホームページがある。

Tomio氏の「富雄川と『富の小川』」(リンク有り)

いろいろ参考にさせていただいた。
2018/5確認、リンクが切れています






とりあえず現地の様子








上記の三枚の写真は富雄川が大和川に合流する地点から300メートルほど上流の様子。
(安堵町付近)


まあ、田舎の普通の河川であった。











次に訪問したのは、大和川との合流地点から3キロメートルほど上流にある「上宮遺跡公園」。奈良時代の遺跡の上にできた公園で、そこには地域にちなんだ色々な歌の歌碑が整備されていた。


その中から富雄川関連の歌を紹介



いかるがや 富の緒川のたえばこそ わがおほきみの み名をわすれめ 拾遺和歌集
いかるがの富雄川がもし絶えることがあったならば、私どもの大君の御名を
忘れることもあろうが、そのようなことは有り得ないから絶対わすれない
(「歌枕歌ことば辞典」片桐陽一) 


上宮遺跡公園内に歌碑

(聖徳太子の慈悲に感じて飢え人がよんだと伝える歌)






上宮遺跡公園には休日の午前中に行ったのだが、子供の姿はなく、閑散としていた。
ただ、さすがに聖徳太子ゆかりの地、斑鳩の里に近いからか、聖徳太子の立派な石像があった。


「以和為和」(和をもって貴しとなす)と彫られている。



いやはや、公園の周りは田園地帯が広がっていた。










近くに在原業平にちなんだ「業平橋」と「業平道」があった。


富雄川に架かる業平橋



これも。
この橋は昔の業平道である。
業平橋を西側から撮影。



これは業平橋を東から撮影。



むかし、在原業平が天理市付近の自宅から、愛人がいる河内の高安まで通った道が業平道。
この真っすぐに進む細い道がそう。





君が代は富の小川の水すみて千年をふとも絶えじとぞ思ふ 源忠季


業平橋の東側に歌碑











業平橋から上流を望む。



業平橋から下流方向。
この先で大和川と合流。









その他、富雄川を詠んだ歌


斑鳩とみの小川の流れこそ絶えぬ御法の始なりけり 新千載集
斑鳩富雄川の冬の月絶えずや千代の影にすむらむ 順徳院集
君が代は富雄川の水澄みて千歳をふとも絶えじとぞ思ふ 金葉集








結局、このページ、表面的な作りになってしまいました。


富雄川については、 Tomio氏の「富雄川と『富の小川』」を
是非ご覧ください。


(リンク)

2018/5確認、リンクが切れています 




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