すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
富田林(大阪府富田林市)
山崎豊子の「花紋」 amazon の書評は
主人公の「河内長野の、大地主の、総領娘の御室みやじ」とは、明治の歌人、石上露子とされている。 石上露子は、本名杉山孝、明治15年に大阪の富田林の大地主の長女として生まれている。 古典の教養をもとに明星派女流歌人として明治時代中期の歌壇で注目を集めたが、のちに結婚した夫の理解が得られず、無念にも断筆に追い込まれる。 その後は、夫の投機失敗、杉山家の没落、息子二人の病死と自殺など、悲壮な晩年を過ごした。 そんな石上露子の生家である杉山家は、富田林市の寺内町にあり、重要文化財として指定されている。 たまたま、仕事で富田林駅から石川を超えたところにある取引先に行く機会があったので、その帰り道に寺内町を歩いてみた。 【富田林市寺内町】 ![]() ![]() ![]() ![]() 辻は少しずらして区画されている。 中世、敵が攻めてきたときに、まっすぐ見通せないようにしたとのこと。 ![]() ![]() 【旧杉山家住宅】 ![]() 一般公開されている。 ![]() 左が旧杉山家。右も相当な旧家であった。 中世の、有力な寺院を中心に形成された自治集落としての寺内町については地理学的にとても興味があって、再訪してゆっくり歩きたい。 【石上露子の歌】 |
みいくさにこよい誰か死ぬさびしみと髪ふく風の行方みまもる | 石上露子 |
日露の激しい戦いの報を聞くと私の胸は痛む。今宵は誰が戦死するのだろうと思うと、 なんともいえず寂しいので、私の髪を乱して吹いて過ぎる風のかなたを、目を凝らして 見ている。妻や母たちのかなしみを思いつつ。(富田林市) |
「小板橋」 ゆきずりのわが小板橋 しらしらと一枝のうばら いづこより流れか寄りし 君まつと踏みし夕べに いひしらず沁みて匂ひき 今はとて思いに病みて 君が名も夢も捨てむと なげきつつ夕わたれば ああ、うばらあともとどめず 小板橋ひとりゆらめ |
石上露子 (「明星」明治40年12月号) |
Wikipedia(石上露子)によると、 「旧家の家督を継ぐ運命のため、思いこがれた初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ“小板橋”は絶唱と評され、石上露子の名を不朽のものにするとともに、同作品は明治期の代表的な作品としてたびたび掲載されている。」とある。 ふ〜ん。 それはともかく、この小板橋が架かっていた跡地が現在も保存されているらしい。場所もほぼ特定したので次回ぜひ行ってみたい。 |