すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


鳥海柵(とのみのさく)(岩手県金ヶ崎町)






わが国の 梅の花とは みたれども 大宮人は いかがいふらむ 安倍宗任


この歌のエピソードはとてもお気に入りである。
出典は「平家物語」の『剣巻』という異本であり、角川や岩波の文庫版には収録されていないので、長年気になっていたが、インターネットのJ-Text(日本文学電子図書館)でテキストが公開されていた。


(前略)
・・・頼義これを賜はりて奥州に下向し、九箇年が間戦ひつつ終に軍に打勝ち、貞任をば首を取り、宗任をば虜りて上洛す。貞任が長九尺五寸、宗任は遥かに劣りて六尺四寸ぞありける。頼義の宿所にありけるを、卿相雲客達、「吾妻の夷、さこそはをかしく侍らめ、いざ行きて笑はん」とて梅花を一枝手折りて、「宗任、これは如何に」と問ひければ、宗任取りあへず、
我が国の梅の花とは見たれども大宮人はいかが言ふらん
と申したりければ、皆しらけてぞ帰りける。さて宗任は筑紫へ流されたりけるが、子孫繁昌して今にあり。松浦党とはこれなり。
(後略)

え〜と、簡単にいうと、
源頼義は前九年の役で勝利し、敵将の安倍貞任は殺して、その弟の安倍宗任は捕虜として都へ連れて帰った。
都では貴族たちが、奥州の蝦夷を一目見ようと集まってきたが、その中の一人が梅の花の一枝を見せて、「宗任、これは何であるか」と、辺境の人々には都の風流が理解できないだろうと侮蔑を込めて問いかけた。
そしたら宗任は歌を詠み、
「我が国では梅の花と言うけれど、都では何と言いますか」
と答えたので、みんなびっくりしたと。
後に宗任は筑紫に流されるが子孫は繁栄して松浦党となった、云々。


なんとも楽しい逸話である。

ちなみに、安倍晋三総理大臣は、なんと安倍宗任の子孫らしい。


そして、安倍宗任が守っていたのが鳥海柵。
「とのみのさく」と読む。
胆沢川の段丘を利用した軍事拠点であったらしい。
前九年の役では、安倍氏は衣川柵の陥落のあと、厨川柵(盛岡市)まで撤退したので、鳥海柵では戦いは行われなかったようだ。









今回、安倍宗任ゆかりの地として、鳥海柵を訪問。


過去に発掘作業をしたらしいが、埋め戻されたようだ。



海外の公園みたいであった。



ポツンと案内板があって、


(拡大図)

いろいろと興味深いものがあった


(拡大図)
























安倍宗任のゆかりの地として、どこが相応しいのか、
いろいろ悩んだ末に訪問しました。






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