すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
わが国の 梅の花とは みたれども 大宮人は いかがいふらむ | 安倍宗任 |
この歌のエピソードはとてもお気に入りである。 出典は「平家物語」の『剣巻』という異本であり、角川や岩波の文庫版には収録されていないので、長年気になっていたが、インターネットのJ-Text(日本文学電子図書館)でテキストが公開されていた。
え〜と、簡単にいうと、 源頼義は前九年の役で勝利し、敵将の安倍貞任は殺して、その弟の安倍宗任は捕虜として都へ連れて帰った。 都では貴族たちが、奥州の蝦夷を一目見ようと集まってきたが、その中の一人が梅の花の一枝を見せて、「宗任、これは何であるか」と、辺境の人々には都の風流が理解できないだろうと侮蔑を込めて問いかけた。 そしたら宗任は歌を詠み、 「我が国では梅の花と言うけれど、都では何と言いますか」 と答えたので、みんなびっくりしたと。 後に宗任は筑紫に流されるが子孫は繁栄して松浦党となった、云々。 なんとも楽しい逸話である。 ちなみに、安倍晋三総理大臣は、なんと安倍宗任の子孫らしい。 そして、安倍宗任が守っていたのが鳥海柵。 「とのみのさく」と読む。 胆沢川の段丘を利用した軍事拠点であったらしい。 前九年の役では、安倍氏は衣川柵の陥落のあと、厨川柵(盛岡市)まで撤退したので、鳥海柵では戦いは行われなかったようだ。 今回、安倍宗任ゆかりの地として、鳥海柵を訪問。 ![]() 過去に発掘作業をしたらしいが、埋め戻されたようだ。 ![]() 海外の公園みたいであった。 ![]() ポツンと案内板があって、 (拡大図) ![]() いろいろと興味深いものがあった (拡大図) ![]() |