すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
答志島(三重県鳥羽市)
答志島遠望 from 小浜港
持統6年、持統天皇の伊勢御幸に随行しなかった柿本人麻呂は、都から伊勢御幸の様子を想像しながら次の歌を詠んだ。 |
釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ | 柿本人麻呂(万葉集) | |
(私訳)答志島では今日も都人たちが玉藻を刈って遊んでることだろう。 ※「釧着く」は答志島の枕詞 |
こうして答志島の和歌の紹介のホームページを作成しているが、実際のところ答志島へは行ったことがない。 写真のとおり、鳥羽から北へ続く小浜の海岸から写真を撮っただけ。 島の中にある神社には上記万葉歌の歌碑があったり、いろいろ観光地があるらしい。 さて、西行法師は存命中に長らく伊勢に住んでいたという。 そして伊勢の周辺をくまなく旅し、いく先いく先でその土地にちなんだ歌を詠んでいる。 答志島では余程海岸の白い石が印象に残ったようで、山家集に「伊勢の答志と申す島には、小石の白の限り侍る浜にて、黒はひとつもまじらず」と答志島の白い石の記述があり、続いて「むかひて菅島と申すは、黒の限り侍るなり」と向かいの菅島の黒い石についても言及している。 実際に、西行が詠んだ答志島と菅島の歌は黒白小石の歌ばかりである。 |
すが島やたふしの小石わけかへて黒白まぜよ浦の濱風 | 西行 |
(私訳) 海風が吹いて、菅島と答志島の黒白の小石を混ぜてしまえ |
あはせばやさぎを烏と碁をうたばたふしすがしま黒白の濱 | 西行 |
崎志摩の 小石の白を 高波の 答志の浜に うち寄せてける | 西行 |