すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
富田という、大嘗祭で詠まれたおめでたい歌枕。 なんとここは、もともと海に面した漁村だったという。 高梁川の堆積作用や、近世の水田干拓、戦後のコンビナート建設により、海岸は遥か遠くへ行ってしまった。 現在は富田という行政地名はなくなり、玉島八島という、これまたいかにも海辺のような地名になっている。 ただし今でも学校などに富田の名称は残っており、これからも歌枕としての富田は語り継がれていくのだろう。 ![]() 富田保育園 ![]() 富田幼稚園 ![]() 富田小学校 ![]() 玉島信用金庫、富田支店 ![]() 玉島富田郵便局 ![]() この辺りの風景@ 中世まで海だったらしい。 ![]() 風景A ![]() 風景B ![]() 町内地図 富田を詠んだ歌 |
種わける苗代水をせきあげて 富田の郷にまかせてぞ見る | 大嘗会和歌集 |
【訂正】 ちょっと上の記事を訂正したい。 自宅で改めて富田について調べてみると、少し認識相違があったようだ。 歌枕の富田は、上記の玉島八島から2キロメートルほど北西にある、現在の玉島富という集落であろう。 中世には鴨神社の荘園になっていたようだ。 緩い傾斜の地形に田畑が耕されている。 集落にある富八幡宮は近郷の氏神として祀られていたらしく、由緒によると、海辺に住む漁師たちは大漁が続き、村中が富栄えたので、人々は富の湊と呼ぶようになり、里の名も富となったという。 つまり、@富田には海辺の漁村と内陸部の農村があり、A漁村の方の繁栄から村全体が豊かになり村名を「富」としたところ、B縁起の良い地名だということで都に伝わり大嘗祭で和歌に詠まれた、ということかな? 和歌の内容も田植えの場面なので、漁師とは関係がなさそう。 多分、地元の郷土史研究家の人たちは、もっと確かな回答を持っていることだろう。 |