すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
豊橋(愛知県豊橋市)
豊橋は東海道の宿場町で、江戸時代は吉田宿といった。 豊橋が「豊橋」になったのは明治時代の初めであって、それまでは「吉田」」であった。 さらに、近世以前は「今橋」であった。 豊橋は「豊川」の河畔に発達した町であり、豊川水運で栄えた湊町である。そして東海道が豊川を渡る吉田大橋は徳川幕府の直轄の天下橋であった。 吉田大橋、豊川、そして吉田城は、この地を象徴する風景だったようだ。 東海道名所図会「吉田 豊川」(早稲田大学図書館) ![]() 豊川に架かる東海道の吉田大橋。右手に吉田城が見える。 東海道五十三次「吉田」(WIKIPEDIA) ![]() 同じような構図。吉田城の改築の絵柄は見事。 東海道五十三次(行書版)「吉田」(WIKIPEDIA) ![]() 吉田大橋から吉田城を眺める。 【現在のとよばし(旧)吉田大橋】 ![]() 旧東海道を歩いた時に撮影。 ややこしいが、旧東海道の吉田大橋は、明治時代に「とよばし」へ名称変更され、国道一号線の方の橋が現在「吉田大橋」となっている。 ![]() 「とよばし」(旧吉田大橋)から豊川の下流を撮影。 こんな豊橋、昔の吉田を詠んだ歌 |
@ 思ひやるけふは都の神まつりここを吉田の里ときくにも | 烏丸光広 |
A 古郷のさとの名なればなつかしやよしや都の吉田ならねど | 小野於通 |
B 夢とてもよしや吉田の里ならむさめてうつつもうき旅の空 | 小堀宗甫 |
えーと、吉田の「吉」は縁起が良いに通じ、旅人もお約束どおりの歌を詠んでいる。 京の都の吉田を思い出したり@A、『よしや』という副詞を掛けて「仕方がない」を導いたりA、夢でも「よい」と単純に語呂合わせしたりB、まあ、それほど印象に残るような歌ではないのだが。 ■ 旧東海道を歩いた時の吉田宿の写真 ![]() 「東海道 吉田宿」の石碑 ![]() 市街地開発なのか戦争の空襲なのか、よく分からないが宿場町の面影は残っていない。(歩いた限り) ![]() これも。 ![]() これも。 最後に、中世の頃の地名であった「今橋」を詠んだ歌 |
夜とともに月澄み渡る今橋や明け過ぐるまで立ちぞやすらふ | 覧富士記 |