すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


企救(きく)(福岡県北九州市)





企救は現在の北九州市あたりの昔の地名で、明治以降も行政区画として企救郡があったり、町制施行後に企救町があったが、第二次大戦後に小倉市に編入されて消滅。
関門海峡に突き出た企救半島や企救山地にその名が残る。
歌枕としては、企救の長浜、企救の高浜として、現在の小倉から門司にかけての海岸が詠まれた。
長い砂浜海岸が続き、根上がりの松があって、さぞかし風光明媚な情景が広がっていたことだろう。



現在では、完全に埋立てられてしまい、見る影もない。
近代以降、北九州工業地帯として発展し、海岸線は工場として埋め立てられ、太平洋ベルト地帯の一角として日本の成長を支えた。


八幡製鉄所、現在は日本製鉄






油槽所








企救の砂浜を詠んだ歌


豊国企救の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ 万葉集
豊前の国の企救の長浜を歩き続け、日が暮れてしまえば、
そぞろにいとしい人のことが思われる。(北九州市教育委員会) 


長浜町の貴布彌神社に歌碑



豊国企救の浜辺の真砂地真直にしあらば何か嘆かむ 万葉集

豊国企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひそめけむ 万葉集

豊国企救の高浜高々に君待つ夜らはさ夜更けにけり 万葉集
豊前の国の企救の高浜の高の名のように、高々と爪先き立つ思いで
君を待つ夜はもうふけてしまった。(北九州市教育委員会) 
 

豊国企救の池なる菱の末を摘むとや妹がみ袖濡れけむ 万葉集


豊国きくの長浜夢にだにまだ見ぬ人に恋ひやわたらむ 源実朝

これのみぞうつろふ色はなからまし雪の花咲くきくの長浜 冷泉為尹








企救の長浜も高浜も埋立てにより地上から消滅してしまったが、地名としては残っているようだ。北九州市小倉北区には、長浜町も高浜町もある。昔の海岸線に沿って東西に長く広がっている。
長浜町にある貴布彌神社を訪ねた。上記の万葉歌碑があった。


貴布彌神社の社頭



















海の写真を撮るために撮影ポイントを探しましたが、
結果はイマイチでした。






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