すさまじきもの ~歌枕探訪~


土山宿(滋賀県甲賀市)




東海道五十三次の49番目の宿場。
土山宿は「あいの土山」という通称名があり、ニックネーム的に使われている。これは次の鈴鹿馬子唄によるもの。


坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山 雨が降る 鈴鹿馬子唄


昔、東海道の旅人や荷物の運搬を担った馬子たちが、峠越えの際に唄ったもの。鈴鹿山を越えると天気が変わることが多く、坂下宿付近では晴れていたのが、鈴鹿峠を越えるころに曇りだし、土山宿では雨が降ったという具合。



土山宿の吉川に架かる大黒橋の高欄にあった絵図



同じく、大国橋にて



土山町山中の旧東海道沿いにあった歌碑
(経緯度:34.912444, 136.322228)



鈴鹿峠を三重県側に超えると「鈴鹿馬子唄会館」というのがあって、鈴鹿峠に関する展示場があった。こんなものが再現されていた。
(三重県亀山市関町沓掛234)



これも、土山町山中の旧東海道沿いの休憩スペースにて
(経緯度:34.916312, 136.317101)



同上の休憩スペースに「鈴鹿馬子唄之碑」があった。











土山や歌にもうたふはつしぐれ 高桑闌更


旧東海道と一の松通りの交差点に句碑





土山即興     
採茶時節事匁忙  
緑髄青芽壮僻郷  
清風一㵸君知否  
遠到紅洋黒漠香
 
 眞風軒
 土山を過ぎて即興する
採茶の時節 事匁忙(そうぼう)す
僻郷(へきごう)に 緑髄(りょくづい)の青芽壮(せいがさかん)なり
清風あり。一㵸、君知るや否や
遠きに到る紅洋黒漠として香し

(現地の案内板より)



茶摘みの季節、茶畑では忙しそうに働いている云々の漢詩。
いやはや土山には茶畑が広がっていた。

















【その他、土山宿の写真】











道の駅「あいの土山」に土山宿の石碑があった。






伊勢参宮名所図会「土山」

(早稲田大学図書館)











とにかく、馬子唄というのを一度聞いてみたくなりました。













〈 追 記 〉






土山は、江戸時代に3度、大嘗会和歌の歌枕として詠進されている。

後桃園天皇と光格天皇の大嘗会では南土山村として、孝明天皇のときは土山村として、ともに大嘗会和歌のなかでも別格の稲舂歌が詠まれている。

土山という地名にそれほど慶祝性があるとは思えないが、どうしてだろうか。「土」が耕作をイメージしているとか。





明和8(1771)年11月19日、後桃園天皇大嘗祭、稲舂歌

よろづよにつくともつきじみなみなる つちやまむらのながひこのいね 広橋伊光






天明7(1787)年11月27日、光格天皇大嘗祭、稲舂歌

かしこくもうらにあふみのみなみなる つちやまむらのはつほをぞつく 日野資矩





嘉永元(1848)年11月21日、孝明天皇大嘗祭、稲舂歌

うらにあふつちやまむらにぬきほして きみがちとせのためしにぞつく 広橋光成






土山の白川神社の境内に悠紀斎田があったようだ。

白川神社の西側入り口に石碑が建立されている。



悠紀斎田之碑
歴代天皇御即位のとき斎行される大嘗祭の重儀に御料の新穀を供する悠紀斎田としてわが土山の里が御三代にわたり卜定されたことは大きな誇りである。よって抜穂の稲こなしが行われた当神社旧称祇園牛頭天王社の境内に斎田の所在を明示する碑を建てて、その栄誉を永世に伝えるものである。
          記
後桃園天皇 大嘗祭抜穂神事 明和八年九月 南土山宇中垣外
光格天皇  大嘗祭抜穂神事 天明七年九月 同右
孝明天皇  大嘗祭抜穂神事 嘉永元年九月 北土山宇山神






■ 白川神社 (甲賀市土山町南土山261)

参道(南側)
東海道とは反対側の参道入り口



拝殿



本殿










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