すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


経正琵琶塚(神戸市兵庫区)




情けない話であるが、神戸市の経正琵琶塚に車で到着してすぐに、お腹の調子が悪くなった。
前日の晩、ビジネスホテルで調子に乗って飲みすぎたのが原因なのか?
大変な苦しみの中、なんとか写真撮影を敢行したのだが、あまりよく覚えていない。
冷や汗と脂汗が交互に噴き出し、万事休すかと観念しそうになったとき、琵琶塚の交差点を挟んだ斜め向かいにセブンイレブンを発見!
体調不全のまま車でセブンイレブンに特攻攻撃し、なんとか事なきを得た。

いやはやお粗末な訪問となった。





■意識が遠くなる中で撮った写真がこれ

「琵琶塚」の石碑。
とても巨大であったが、よく覚えていない。




「平清盛像」もあった。




これは「清盛塚」。たしかにここは「清盛塚」の方が有名。Googleの地図でも「清盛塚」と出る。




右から「琵琶塚」「平清盛像」「清盛塚」が並ぶ。
大正時代の道路拡張工事の際に、ここに移設されたらしい。




危機一髪で助かった向かいのセブンイレブンから見た琵琶塚。まさに指呼の間にあった。











平経正と琵琶には美しいエピソードがある。
さわりだけ“簡単に”紹介すると、


■経正は武家の子ながら幼少時より仁和寺で育った故、公家のように詩歌管弦が得意となり、とりわけ琵琶の名手であった。そして琵琶の中でも希代の名器である「青山」を贈られた。


■平家都落ちの混乱の中、経正は家来数人を連れて仁和寺に馳せ戻り、守覚法親王に対し「青山」を預かっておいてくれと嘆願した。
それに対し守覚法親王は、


あかずして別るる君が名残をば後の形見につつみてぞおく 守覚法親王


■これに対し経正も返した


呉竹の筧(かけひ)の水は替れども猶すみあかぬ宮の内かな 平経正


このように詠んで、経正は仁和寺から退出した。


■この様子を見ていた仁和寺の僧侶たちは、「あわれ、再び帰ってこない人が出立する」と別れを惜しんでいたが、その中で幼馴染の法印行慶が経正を鴨川の辺りまで送ってきて、次の歌を詠んだ。


あはれなり老木若木も山桜おくれ先だち花は残らじ 行慶


■経正返し 


旅衣夜な夜な袖をかたしきて思へばわれは遠く行くなむ 平経正


■結局、経正は源平一の谷の戦いで帰らぬ人となった。









(雑感)
なんとなく惜しいと思うのは、平家都落ちの際に同じく都へ戻った平忠度が藤原俊成に自作の歌集を届けたエピソードの方がはるかに人口に膾炙していること。忠度の方は武人としても一流でしかも歌心があって、物語として“絵になる”のだろう。
また、経正の弟の平敦盛も同じく一の谷の戦いで死んでいるが、これもやはり敦盛の方がメジャーになっている。経正も敦盛も源氏の軍勢に追われて非業の死に至るのは同じだが、経正を討ち取った川越重房と敦盛を討ち取った熊谷直実の役者の違いを感じる。敦盛の方は、青葉の笛などの小物使いも際立つ。

また北陸の戦いに赴く途上、竹生島に寄った平経正一行の琵琶管弦エピソードも地味である。
 












地味な経正を結構気に入ってます。





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