すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


角の里(つののさと)(島根県江津市)







石見の海 津の浦を無み 浦無しと 人こそ見らめ 潟無しと 人こそ見らめ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 潟は無くとも 勇魚(いさな)取り 海辺を指して 柔田津(にきたづ)荒磯(ありそ)の上に か青なる 玉藻沖つ藻 明け来れば 浪こそ来寄せ 夕されば 風こそ来寄せ 浪の(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 靡きわが宿()敷栲(しきたへ)の 妹が手本(たもと)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万度(よろづたび) かへり見すれど いや遠に 里(さか)り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ ()しきやし わが嬬の児が 夏草の 思ひ(しな)へて 嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山 柿本人麻呂
(万葉集)




この歌は石見国に赴任していた柿本人麻呂が単身で大和へ戻る際に、現地に残してきた妻を偲んで詠んだもの。

何度も振り返ってみるが、妻のいる里は遠くなってしまった。高い山も越えてきた。夏草のように萎えながら私のことを思っているだろう。そんな妻が住んでいる角の里を見たいものだ。山々よ、伏せておくれ、と言う意味。
最後の「靡けこの山」は、妻の住んでいる角の里を見たいので、山に低くなってくれるよう懇請するといった内容で、実に勇壮な歌である。




え〜と、せっかく島根県の端の方にまで行ったにもかかわらず、台風の影響で大雨となり、きっちりと万葉故地巡りができなかった。















台風は朝鮮半島へ抜けたものの、次の日も山陰地方は大雨が続いた。

ちょうど江津市の角の里を訪問した時間が雨のピークだったようだ。

訪問予定地は三ヶ所
・柿本神社(江津市都野津町1750、歌碑)
・江津市立二宮交流館(江津市二宮町神主イ171、石碑と歌碑)
・君寺(江津市二宮町神主恵良、歌碑)


柿本神社は周辺の道の道幅が狭すぎたため、大雨の中の訪問に危険を感じて断念。
江津市立二宮交流館では「依羅娘子生誕伝承の里」の石碑を撮影したものの、歌碑は周辺を探したがなかった。実は石碑の裏面に歌碑が刻印されていた。
君寺はさらに雨がひどくなったので訪問を断念。
とても残念な結果になった。


惨敗の原因は、事前の調査不足とタイトなスケジュール、それと天候。


せっかく島根県の西部という、地の果てのような場所に行ったのに、所期の目的が果たせなかった。死ぬまでにもう二度とこの地を訪問することは無いだろうと思うと残念至極である。





江津市立二宮交流館
この左手に銅像があったので近づいて確認してみると二宮金次郎像だった




「依羅娘子生誕伝承の里」の石碑があった
石碑の裏面に万葉歌が刻印
雨が強すぎて、確認するような余裕がなかった




周りの様子
柿本人麻呂の妻の依羅娘子が生まれたところ




さらに雨がひどくなってきたので退散
















毎年、お盆前に旅行に行きますが、結構な確率で台風の影響を受けます






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