すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


上田(長野県上田市)






コロナ禍の中で訪問







長野県の上田は歌枕でもなく、古典のゆかりの地でもない。
また北国街道の上田宿がありながら、著名人もここでは歌を詠んでいないようだ。上田という地名は凡庸で詩情が湧かないのだろう。上田周辺の風景も退屈なのかも知れない。

そんな月並みな上田を今回一つのページとして作ったのは、上田の市街地にある上田城が真田昌幸の築城であるから。
真田昌幸はご存じの通り、武田一族没落後に上田盆地を支配し、二度にわたって徳川軍を撃退、関ヶ原で敗退後は次男の幸村と紀州九度山で蟄居しながら豊臣家再興を目指すも65歳で死去。

実は、今回の長野方面への旅行の前に、池端正太郎の真田太平記を読んでいたので、ぜひとも真田一族ゆかりの地を訪ねたかった次第。




全12巻















■早速上田城跡へ訪問


現地の案内板
実はそれほどお城自体に興味があるわけでない。
興味があるのは、上田城が尼ヶ淵という千曲川の分流の段丘崖上に築城されていること。
上の案内板で確認できるとおり、段丘崖を見事に利用し天然の要害としている。



ここ川が流れていた。



段丘崖を巧みに利用。但し大雨が降ると崖が削られていくので、石垣を強固にして浸食から守っているとのこと。
いやはや、この写真が撮れただけでもここに来た甲斐がある。



町中いたるところに六文銭



真田十勇士もキャラクターになっっていた



これも



池端正太郎の真田太平記館















さて、なにか真田昌幸が辞世とか詠んでいないか調べたが、なにもなかった。そこで次男の幸村を調べてみると、辞世とは言いがたいけど、最後の書簡でそれらしいことを記したものが一応辞世とされている。



定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候
我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候
真田幸村














実は十返舎一九が上田で詠んだ狂歌がありました

鼻紙の上田の町の繁盛は (ふところ)広く見ゆる商人(あきうど) 十返舎一九


上田の名産は紙でした




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