すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


宇治(京都府宇治市)





古代「吉野」、中世「宇治」、いま「軽井沢」。(貴族の別荘地)


宇治って、ビッグネームすぎて何から書いていっていいのやら。


源氏物語の「浮舟」ははずせないし、
平家物語では「源三位頼政の最期(宇治橋の戦い)」と「宇治川の先陣争い(高綱と景季)」と二回も壮絶な戦いがあったし、
また万葉の昔から網代木は宇治川を印象付ける光景として多くの歌に詠まれてきたし、
しかも百人一首には宇治を歌枕とした二首が採用されている。


とりあえず百人一首から


朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬瀬のあじろ木 権中納言定頼(百人一首)
夜が明け、宇治川の霧が晴れていく中で、
魚取り用の仕掛け(網代木)がいろいろ見えてきたよ



わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師(百人一首)
私の住処は都の南東にあって、それなりに機嫌よく住んでるのだが、
人々は私が世を「憂し」として「宇治山」に住んでると言っている。

= 掛け詞 =
「憂し」と「宇治」
「住む」と「澄む」
「しか」と「鹿」





*********




次は平家物語


宇治橋の戦い」で印象深いのは次のくだり


伊賀と伊勢の兵六百騎が宇治川に流されたのだが、その色鮮やかな鎧が流されていくのを

神南備山の紅葉葉の峰の嵐に誘はれて龍田川の秋の暮れ井堰にかかりて流れも敢へぬに異ならず

と表現し、それを見た伊豆守仲綱、

伊勢武者はみなひをどしの鎧きて宇治のあじろにかかりぬるかな

と詠んだ。



宇治橋



結局、戦いに敗れた老将 源三位頼政の辞世の歌

うもれ木の花咲く事もなかりしに身のなるはてぞ悲しかりける 源頼政
埋もれ木の花が咲くこともないように、
私もなにもいいことなく死んで行くのが悲しい
 
      






平等院のこの扇の形の芝生のところで自害したらしい。
(歌碑も扇の芝生の中にある)





宇治川の先陣争い」は、この機会に読み返したが、特に感想がなかったので省略。





*********




源氏物語

いろいろあるけど、やっぱり匂宮が薫に扮して浮舟に近づき、まんまと一夜を過ごしたあたりの「浮舟」の章がおもしろい。
その末に、浮舟は匂宮を愛してしまう。

そんで、この歌の贈答

長き世を頼めてもなほ悲しきは ただ明日知らぬ命なりけり 匂宮(源氏物語)
行く末を誓い合っても、明日はこの命がどうなるのか分からなのが悲しい


心をば嘆かざらまし命のみ 定めなき世と思はましかば 浮舟(源氏物語)
命が分からないだけなら、こんなに嘆いてません 


個人的には薫を応援してしまいます。




匂宮と浮舟かな?(朝霧橋東詰)



紫式部像(宇治橋西詰)



宇治橋から上流を望む。
遠くて見えにくいが、川の真ん中に「橘島」



橘の小島は別のページに分けた。





*********





最近、宇治に二回行った。
一度目は源氏物語ミュージアム、二度目は平等院が目的であった。
毎回、次に来る時は十分に時間をとって、ゆっくり回ろうと、思う。





万葉集の秀歌


もののふの八十氏河の網代木にいざよう波の行方知らずも 柿本人麿(万葉集)
宇治川の網代木に遮られて、波の行方がわからない







古今和歌集の秀歌


さむしろに衣片敷き今宵もや われを待つらむ宇治の橋姫 古今和歌集









蜻蛉日記では、いつもいいタイミングで宇治が登場するが、
いつも揉めている。。

 











*********





なんか、気負って作り始めたけど、中途半端におわりました。







抹茶の饅頭が名物です

 

  



copyright(C)2012 ゆかりの地☆探訪 〜すさまじきもの〜 all rights reserved.