すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


浮島ヶ原(静岡県沼津市)




地形マニアの私にとって、浮島ヶ原の地学的特徴は本当に魅力的なものである。湾口砂州の形成と、その内湾のラグーン化、低湿化のプロセスは、私にとって古典の歌枕巡りに匹敵する興味の対象である。
というわけで、本当はこのページで地学的なアプローチを行いたいものであるが、多分、たまらなく退屈な話になると思うので割愛する。



そんな浮島ヶ原へ行ってきた。

「浮島ヶ原自然公園」が整備され、湿地が保存されている。



湿地には環境省レッドブック(絶滅危惧品種)に記載されている貴重な植物がたくさんあるらしい。



実は、あんまり生物には興味がない。



子供が小さい時は一緒に観察とかしたが、今となっては鳥はどれも同じに見える。



公園内では、生物の採集は禁止されていたが、アメリカザリガニだけは外来種ということで例外的に許可されていた。



こんなかんじで湿地が再現されている。




いつとなき思ひは富士の煙にて起き伏す床や浮島が原 西行(山家集)
いつまでも思い焦がれ続けるあの人への思いは富士の噴煙のように絶える時がないが、起き伏しする私の寝所は山麓に広がる 浮島が原のように、涙に濡れて浮いたように見える。(和歌文学大系21から抜粋)



今日すぐる身を浮島の原にてもついの道をば聞きさだめつる 宗行(東鑑)












先述のとおり、浮島ヶ原を含む富士山及び愛鷹山の南麓の低湿地帯は、砂州(沿岸州)の発達で駿河湾の一部が堰き止められ、陸地化したもの。ただ海面との標高差が少なく、昔は高潮が来ると海水に浸り、対策として堤防を築くと逆に大雨の際に排水できなくなるなど、大変な地域であった。




しかしながら、湿原と富士山の構図は昔から愛され、広重の東海道五十三次にも採用されている。(原宿)

Wikipediaより

手前右の山が愛鷹山、その後ろ、額縁を山頂が突き抜けているのが富士山。浮島ヶ原は古来、富士眺望の絶好ポイントであった。


私が撮影した写真。
富士山はともかく、手前の愛鷹山さえ見えなかった。
残念。



これも。
裾野っぽいのが見える。



さみだれは富士の高嶺も雲とぢて波になりゆくうきしまのはら 藤原家隆(壬二集)

この歌の作者も富士山を見れなかったようだ。







さて、東海道中膝栗毛では、三島の宿で夜中にスッポンが暴れ出したドサクサに、同宿の男に財布を盗まれ、すっからかんになり沼津に行き着く。そこで出会った田舎侍に空の財布を百文で買ってもらい、なんとか原の宿にたどり着く。

(弥次)
まだ飯もくはず沼津をうちすぎて ひもじきはらの宿につきたり

そしてソバでも食おうということになり、
今食ひしそばは富士ほど山盛りに少し心も浮き島が原



















平地なのに今でもほとんど開発されてませんでした。






<追記>
2020年2月に東海道歩き旅で、上記の浮島ヶ原自然公園近くのロケーションから富士山を撮影できた。
実に神々しい富士の姿である。








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