すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


魚住(兵庫県明石市)






明石市の魚住は万葉集ゆかりの地である。




< 魚住を詠んだ万葉歌 >

神亀三年丙寅の秋、聖武天皇の印南野への行幸の折、笠朝臣金村の作る歌

名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海未通女 ありとは聞けど 見に行かむ よしの無ければ ますらをの 情はなしに 手弱女の 思ひたわみて 徘徊り 吾はぞ恋ふる 舟楫を無み 万葉集
魚住の船着き場から見える淡路島 松帆の浦に 朝凪のうちに海藻を刈り 夕凪のうちに藻塩を焼いている 海人の乙女がいると聞くが 見に行く手立てもないので 手弱女のように思いしおれて さまようばかりで 私は恋焦がれている 舟も楫もないので(住吉神社のホームページより) 


反歌

往きめぐり 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波 万葉集
往き帰りに いくら見ても見飽きることがない魚住の船着き場の浜に 
しきりに打ち寄せる白波は(住吉神社の案内板より) 
 


住吉神社から海岸へ出たところに歌碑

明石市魚住にある住吉神社の案内板に見事な解説があったので転載させていただく。


笠金村は、山部赤人らとともに時の宮廷で活躍した万葉歌人である。

聖武天皇は、播磨灘と淡路島とを眼前に見るすぐれた景観の地で、邑美頓宮に七日ほど滞在されている。

 

●印南野とは印南・加古・明石三郡にまたがっていた野で、

 現在の明石市から加古川市にかけての直線二十キロばかりの

 海岸線をもつ臨海の土地である。

 ●邑美とは大海で、魚住町・大久保町あたりに広がっていた原野をさす。

 ●邑美頓宮の場所は邑美駅家跡地または西岡の天王神社と推定されている。 

 ●「名寸隅」とは「魚住」のことである。「名寸」は「魚」の草体を誤って

  二文字で伝えたものであるという説と、「なきすみ→なすみ→うおずみ」と

  地名表記の音の変化を考える説がある。














【住吉神社】 ・・・ 兵庫県明石市魚住町中尾1031


とりあえず、万葉歌碑のある住吉神社へ行ってみた。


参道が海につながっている。もし朝日や夕日のタイミングであれば素晴らしい光景になるのだろう。



もっと手前(神社寄り)から撮影。参道の様子。



参道は松林を抜ける。
立派な松林であった。



逆に、海岸から山門に向けて参道を撮影。



これが拝殿。



こんな歌碑があったが、よく分からない。










他にもいろいろ見どころがあるようだ。












中途半端な感じですが、これで終わります。





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