すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


うすはの潟(山口県下関市)







とかくしてうすは潟といふ干潟にうち出で侍りき。(あられ)は少しやみて、又降りきつつ、干潟の砂の色も、ことに見ゆ(道行きぶり)

似ぬ色もことにぞありける島つ鳥うすはの潟は降りつつ 今川了俊(道行きぶり)



長門国、木屋川の河口に広がる干潟を眺めて詠んだ歌。


「道行きぶり」は、南北朝時代の武将の今川了俊が九州探題に任命され、京都から安芸国、長門国を経て、山陽道を大宰府へ下向する旅程を綴った紀行文。


霰が止んで雪が降ったとのこと。1371年の10月9日のことらしいが、旧暦のことなので、新暦では11月29日頃。


当時に比べて干拓地が広がり海岸線は前進したが、現在も木屋川の河口域には干潟が形成されている。










木屋川左岸の白崎地区から撮影
ラムサール条約に登録されそうな干潟が広がっていた
多様な生物が棲んでいるのだろう



左が江戸時代の干拓地
開作事業の守護神として創建された白崎神社が干拓地の先端に鎮座する。前方の松原は白崎神社の社叢林。



白崎神社
















瀬戸内海には多くの干潟が残っているらしいです





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