すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


山崎(京都府大山崎町)




JR東海道線の山崎駅は大阪府と京都府の境に位置する。

こんな山崎の地はいろいろと歴史上で重要なポジションを占めている。


先ず、

@古来、山崎は国境の町として関所が設けられていたという。

A西国街道の宿場町として栄えた。

B山崎の津(港)は平安京の外港として淀川の水運を利用し都の物流拠点となった。

C大昔、淀川の対岸の橋本との間に橋が架けられていた。

D橋の廃絶後、渡し舟の「山崎の渡し」として近世まで重要な役割を果たした。

E豊臣秀吉と明智光秀が戦った「山崎の戦い」があった。

F近くを流れる水無瀬川の伏流水は良質の水とされ、サントリーが明治期にウィスキー工場を建てた。名酒「山崎」が生まれた地。


一番気になるのはFのサントリーである。いつか工場見学に行きたい。









そんな山崎に行ってきた。


国道171号線の水無瀬川の橋から淀川を望む。
水無瀬川はこの先で淀川に合流する。
昔は対岸の橋本まで渡し舟があったという。
ここからだと淀川の本流は見えない。


と、振り返ると、

東海道新幹線が走っていた!


これはすごい!









次に訪問したのは、JR山崎駅前の「離宮八幡宮」

なにかと由緒ありそうなところだったが、古典文学的にはそれほどでもないかも。


これは中門。


拝殿。


大山崎の灯篭


離宮八幡宮の前は西国街道。

「いかにも街道」っていうカーブ具合がいいね!



こんな山崎であるが、山崎の地名を詠み込んだ歌は少ない。
詞書などによって山崎の歌であることがわかるような具合。




(土佐日記)

山崎のはし見ゆ、うれしきこと限りなし」
「ほとりに柳多くあり。ある人この柳のかげの川の底にうつれるを見てよめる歌」
さゞれ浪よするあやをば青柳のかげのいとして織るかとぞ見る 紀貫之(土佐日記)


柳は船着場のアイコンだろう




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(古今集)

源実が、筑紫へ湯浴みむとてまかりける時に、
山崎にて別れ惜しみける所にて、よめる
命だに心にかなふ物ならばなにか別れの悲しからまし 白女


関の定番、別れの歌だろう




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(菅原道真が大宰府に流される時)

やがて山崎にて出家せしめ給ひて、都遠くなるままに、
あはれに心ぼそく思されて、

君が住む宿の梢をゆくゆくもかくるるまでもかへり見しかな 菅原道真(大鏡)


山崎の地で出家したとのこと。
「君」は道真の妻。
妻が住む宿が見えなくなるまで振り返って見たという歌意。


腰掛天神(離宮八幡宮内)
菅原道真が腰を掛けた石が残っている




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(山崎の油売り)

宵ことに都へ出づる油売、ふけてのみ見る山崎の月 職人歌合
「油座」全盛期の室町時代、山崎は油業で栄え大変賑わいのある町でした。
油商人たちは毎日京の都へ油を売りに行ったのですが、仕事を終え山崎に
帰る頃にはいつも夜が更けてしまっていた、という様子を歌ったものです。 

(離宮八幡宮のホームページの解説)


「油祖像」離宮八幡宮の境内


写真は離宮八幡宮のホームページから拝借






いろいろ書いてきたけど、ほかに何か書くことあったかな?

「信貴山縁起絵巻」の『飛び倉』はとても秀逸な物語&絵巻で、よく図書館で借りてきて読んだもの。
どのようにここで紹介したらよいのだろう?









都名所図会「山崎」

国際日本文化研究センター


左の頁に離宮八幡宮が描かれている
門前の道の曲がり具合は今と一緒である













これも忘れたらいけないね









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