すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


八橋(愛知県知立市)



2014年夏、夏休みに東海道一人旅に出た。
目的は三河、遠江、駿河の名所旧跡景勝地を隈なく回るということであったが、とりわけ重点訪問地を@「八橋」、A「小夜の中山」、B「宇津峠」、C「富士山」として、予め資料を集めてきた。
この四カ所のうち@BCは伊勢物語第九段「東下り」で特に有名。
今回の旅行もこの「東下り」に擬せて、自分が在原業平になった気分で旅に出た。


とにかく、そんなこんなで伊勢物語の聖地、八橋に行ってきた。








伊勢物語では、在原業平が東下りで三河の八橋に至り、沢のほとりで杜若の花が「いとおもしろく咲きたり」、それを同行者が「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて旅の心をよめ」と言ったので詠んだ。

ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ 在原業平

同行者はみんな感激して涙を落とした結果、干したご飯がふやけた、というエピソード。

この話が八橋の地名を決定的に有名にし、その後の旅行者は皆、大いなる期待を持ってこの地を訪れた。

その話は後にして、先に現在の八橋の現況をレポート


無量寿寺。ここが伊勢物語、八橋の聖地。


出た〜!「ひともとすすき」
奈良の在原神社にもあったような。
能「筒井筒」のアイテム。
※「筒井筒」は在原業平を題材とした三番目物の能


これも!「業平竹」
在原業平ゆかりの必勝アイテム。
「縁結び」の竹らしい。


伊勢物語モードが高まっていく中、ついに登場、現代版「八橋」!

「伊勢物語」では
水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける
とあり、川がクモの足のように分かれて流れ、橋を八つ架けて、「八橋」となったらしいが、現在は池に橋が架けられている状況。


反対側から撮影


さらに違う池が出現。なんとも言えない橋が架かってる。


と、よく見ると、これはカキツバタなのかな?


こんな、芽みたいなのがあったり、


花があったり
植物のことは、からっきし分かりません。


そして、キター!
在原業平の銅像と「かきつばた〜」の歌碑。
あと第九段「東下り」の原文の碑。
後ろの風景がちょっと気になるが。


昔おとこ、こと在原業平。相当モテたらしい。


かきつばた歌碑。

無量寿寺の後ろは公園になっていた。
と言っても見学者は私一人で、なんとも閑散としていた。







伊勢物語の昔の、蜘蛛手の川や、八橋に思いを馳せてみたが、住宅街にある公園と池からは全く想像がつかない状況になっていた。
とは言え歴史上では、伊勢物語に憧れていろんな著名人がこの地を訪れているが、どの人も伊勢物語のオリジナルの原風景を見ていない。

たとえば、「更級日記」の作者は同じ平安時代の人であるが、
八橋は名のみして、橋のかたもなく、なにの見どころもなし
と、つれない。

同じく平安時代の源俊頼は「俊頼髄脳」で
橋をたづぬれば、河なんどにわたせるはしにはあらず。あしをぎのおひたる道のあしければ、ただ板をさだめたる事もなく所々に打渡したるなり
と期待外れ感を出している。

鎌倉時代初期の「東関紀行」では、
そのあたりを見れども、かの草(カキツバタ)とおぼしき物はなくて、稲のみぞ多く見ゆる
水田開発が進んでしまったのか

これも鎌倉時代、後深草院二条は「問わずがたり」で
八橋といふ所につきたれども、水行く川もなし。橋も見えぬさへ、とももなき心ちして

我はなほくもでに物を思へども その八橋あとだにもなし


八橋は「あとだにもなし」ということは、川そのものがなかったのだろう。









このように、ここは昔から人々の期待を集めては、見事に裏切ってきた場所であったらしい。
ただし、多分人々は予め期待が裏切られることを分かっていながら、ここに来て、「やっぱりなかった!」「ぜんぜん違ってる〜」「見る影もなし!」って言いたかったに違いない。
これらの言葉は実際に来た人でないと言えないフレーズであろう。







こんな中、芭蕉はやはりすごい。


かきつばた 我に発句の おもひあり 松尾芭蕉

境内の句碑


 全く残念感が出てなく、逆に発奮した内容に仕上げている。







八橋は、史上さまざまな芸術分野に影響を与えており、「かきつばた」の日本画などは有名。







 



その他、能でも「杜若」があるが、ここでは割愛しよう。











これで私も八橋経験者。
「ど〜ってことなかったよ」って人に言おう。






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