すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


横野(群馬県安中市))







紫草(むらさき)根延(ねは)横野の春野には君をかけつつ鶯鳴くも 万葉集
紫草が根をのばす横野が春の野面となると、あの人を心にかけるかのように
鶯が鳴きつづけることよ
(訳:奈良県立万葉文化館) 


安中市鷺宮3800、すみれヶ丘公園の駐車場奥に歌碑






はたして「横野」は歌枕の地名なのか、それとも横に広がった野という一般名詞なのか、よく分らないが、ここは歌枕の現地訪問のホームページなので、歌枕として進めたい。

では歌枕としての「横野」はどこなのかというと、万葉集で詠まれた横野は河内国、現在の大阪市生野区の辺りだとされている。日本書紀に仁徳天皇が横野の地に堤防を築いたと記されており、そこには横野神社があったと延喜式神明帳に記載されている。

万葉集で詠まれた「横野」はこの地だろうと一般的に比定されている。

ところが古今集以降、「横野」はなぜか上野国にあるとされている。

中世の歌学書の基準によると「紫草(むらさき)根延(ねは)ふ」ところは武蔵野となってしまった。あまりにも有名なこの歌「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」の影響である。

このため武蔵野の周辺の地に「横野」を求めた結果、上野国碓氷郡に「横野」があったため、めでたく歌枕の地として認定したもの。

「横野」は上野国の万葉集以来の由緒ある歌枕として認められ、その後も詠み続けられ、踏襲され、そして定着した。


歌枕がどのように出来上がったのか、よく分るケーススタディーである。







■ 上野国の歌枕、横野の地はこんなところ

(丘陵地の上)












横野とは、安中市の中野谷から野殿あたりまでの丘陵地のことらしい。

往古は碓氷川の河岸段丘だったのかな。碓氷川の北側を通る中山道から見ると、丘陵が横たわっているように見えたのだろう。まさに横野である。

現在でも横野平などの地名が残っている。




とりあえず歌碑があった「すみれヶ丘公園」を中心に地図を貼付けた






仙台市内にも玉田横野という歌枕があります。






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