すさまじきもの 〜歌枕★探訪〜 |
万葉集 | ||
紫草が根をのばす横野が春の野面となると、あの人を心にかけるかのように 鶯が鳴きつづけることよ (訳:奈良県立万葉文化館) |
はたして「横野」は歌枕の地名なのか、それとも横に広がった野という一般名詞なのか、よく分らないが、ここは歌枕の現地訪問のホームページなので、歌枕として進めたい。 では歌枕としての「横野」はどこなのかというと、万葉集で詠まれた横野は河内国、現在の大阪市生野区の辺りだとされている。日本書紀に仁徳天皇が横野の地に堤防を築いたと記されており、そこには横野神社があったと延喜式神明帳に記載されている。 万葉集で詠まれた「横野」はこの地だろうと一般的に比定されている。 ところが古今集以降、「横野」はなぜか上野国にあるとされている。 中世の歌学書の基準によると「 このため武蔵野の周辺の地に「横野」を求めた結果、上野国碓氷郡に「横野」があったため、めでたく歌枕の地として認定したもの。 「横野」は上野国の万葉集以来の由緒ある歌枕として認められ、その後も詠み続けられ、踏襲され、そして定着した。 歌枕がどのように出来上がったのか、よく分るケーススタディーである。 ■ 上野国の歌枕、横野の地はこんなところ (丘陵地の上) ![]() ![]() ![]() ![]() 横野とは、安中市の中野谷から野殿あたりまでの丘陵地のことらしい。 往古は碓氷川の河岸段丘だったのかな。碓氷川の北側を通る中山道から見ると、丘陵が横たわっているように見えたのだろう。まさに横野である。 現在でも横野平などの地名が残っている。 |