すさまじきもの 〜歌枕探訪〜


米子城跡(鳥取県米子市)





江戸時代の米子城は、中海に面した標高90メートルの湊山の山頂に建つ、四重五階の天守閣を持った山陰屈指の名城であった。
明治時代に城郭は取り壊され、現在は石垣だけが残る。



現地の案内板にあった米子城の絵図







どうして米子城がこのホームページに登場するのかというと、米子城代であった荒尾家の16代当主、荒尾之茂男爵が、冷泉家出身の須賀子と結婚し、二人が米子城跡で詠んだ歌が伝わっているため。


ゆめかとも思う許りに故郷の 天守のあとに交す盃 荒尾之茂
天主台のほりてみれはきりはれて なみちはるかに隠岐のしまみゆ 須賀子


米子市博労町2丁目59 了春寺に歌碑


須賀子の歌、天守台まで上ったみると、ちょうど霧が晴れて、はるかに隠岐の島が見えた、という内容。
じつは、米子城から隠岐の島は絶対に見えることはないと思っていた。いくら天守台が標高90メートルにあるといっても、隠岐の島は島根半島の向こうにあるので、島根半島の山塊が遮ってしまうものと。、
荒尾之茂の歌にも「ゆめかと思う」とあるし、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された由緒ある隠岐の島が、見えたらいいなという願望の歌だと思っていた。





現実には見えるらしい。
たまたま何気なく「大山開山1300年祭」というホームページを見ていたところ、米子城跡から隠岐の島を眺望した写真が掲載されていて本当にびっくりした。





これがその写真
(ぶらり大山、[第32回]天空の城・米子城の夕景)
美保関の向こうに道後の島影が見える。Wikipediaによると、最高標高は608メートルとのこと。



米子城跡と島根半島と隠岐の島の位置関係
関西在住の私にとって、普段はほとんど関心のない地域である。









【現地訪問】 @米子城跡



米子城跡へ訪問した、というか、入り口の石垣を見てきた。
中海の湖畔に築かれた平城だと思っていたのだが、入り口の案内板に山頂まで15分と記載されていたため、ちょっと体力的にきつく断念した。
この時は、じつは隠岐の島まで見えるとは知らなかった。



少しだけ上ってみた。



この先から急登の坂になるようだ。
上述の大山開山1300年のホームページ(ぶらり大山、[第32回]天空の城・米子城の夕景)によると、夕方、天守台から見える、紅に染まる大山と、夕日が輝く中海の情景が素晴らしいとのこと。











【現地訪問】 A了春寺 (博労町2丁目59)


了春寺は米子城代の荒尾氏の菩提寺である。
ここに荒尾之茂と須賀子の歌の歌碑がある。



了春寺の広い敷地を越えて、奥の公園に荒尾家墓所があり、歌碑もあった。分かりにくかった。



こんなかんじで公園の向こうに歴代の荒尾家の墓石が並んでいる















車中泊した翌日の夕方でしたので、本当に疲れていました。







copyright(C)2012 すさまじきもの〜「歌枕」ゆかりの地☆探訪〜 all rights reserved.